明治150年 明治期の証券市場誕生

1. 生い立ち

左:高森町の風景画像 右:今村清之助の肖像

清之助は嘉永2(1849)年、中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷にある出原村(現在の長野県高森町)で生まれました。

天保二朱金 画像

清之助の生まれた今村家は、村の有力者でありつつも商売に失敗により家産を減らし、没落のなかにありました。
元治元(1864)年、清之助は豊かになることを目指して、家にあった金二朱を手に家を飛び出して横浜へ向かいます。

2. 島清(しませい)の誕生 ~生きて、生きて、生きぬいて。~

左:横浜開港地図・右:蚕卵紙の画像

横浜に到着した清之助は、平野屋市五郎商店の手代と知り合ったことが縁で、平野屋で働きます。一度郷里に帰った後、再度横浜で商売をはじめ、「蚕卵紙」を買い付けて売りさばく商売で儲けます。その後、両替商となります。
清之助は、艱難辛苦のすえ、横浜で両替商「島清(しませい)」として成功をおさめ、両替商仲間「横浜組」の領袖になっていくのです。

3. 渋沢栄一から株式取引所の設立を断られる ~諦めたら終わりだ~

渋沢栄一の肖像

明治7(1874)年、26歳の清之助は、現在の中央区人形町に太物(綿・麻類)を扱うお店を開業して東京進出を果たします。清之助は、公債売買に取り組み、横浜組の仲間と共に、渋沢栄一らを誘って取引所設立を実現します。

4. 証券業者の地位向上を目指して ~安心して投資できる世の中へ~

欧州漫談 画像

清之助は、証券業者にあたる株式仲買人はお客の顔色をみて価格を変えるなど、品位に欠ける商売をしていたため、これを是正しようとし、参考とするため、明治17(1884)年に欧米の証券取引所などを視察することにしました。

5. 鉄道王へ ~自分の社会的使命~

今村家葬儀 写真

清之助は、外遊帰国後に日本各地の鉄道建設を支援する事業に着手します。清之助は、10以上の鉄道会社の経営に発起人、株主、取締役などの立場で関与しました。
明治35(1902)年、清之助は胃がんのため54歳で死去。現在は東京谷中霊園にある汽車の形をした墓に眠っています。