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手合帳

手合帳 表紙

右の写真は、明治39年9月に有野商店が使用していた『手合帳』です。この『手合帳』という言葉からこれをどのように使ったものであるか連想できますか? 証券史料ホールでは"broker-dealer's transaction list"という英語名で展示されているように証券会社の取引の記録帳と思われます。

下の写真は、明治41年8月に同じく有野商店が使用していた『注文付合帳』で、『手合帳』と同様のものと思われます。また、東京株式取引所絵巻物『そのころの兜街』にも、「小僧君たちが玉取の引合せ手合取り帖。和紙長方型二つ折」と取り挙げられています。

手合帳 内容

当時は現在のように取引を記録するシステムなどありませんから、売り買いの取引を一つ一つ筆で記入しなければなりませんでした。売り注文を上に、買注文を下に記録し、銘柄、株数、取引の相手方などが記入されています。また、「相済」の印鑑や「取消」などの印鑑が押されています。

『証券百年史』によれば、明治40年ごろの一般庶民の賃金は、大工、左官、洋服仕立てなどの高い方で月収20円であったのに対し、株式額面は原則として 50円であったと言います。現在の感覚でいうと、株式投資を行うには、数か月分の給料をつぎ込まねばならないということになりますが、当時の市場は売買代金に対して一定の証拠金を取引員に差し入れることで取引可能な清算取引中心で、小額の資金で売り買いの回転売買により収益を上げていたようです。

絵巻物に登場する小僧さんは、一獲千金の夢を見ながら、この『手合帳』に筆を入れ、修行にいそしんでいたのでしょうか。