『スイーツストック』(=冷凍スイーツ)を、知らない人がいないというメジャー市場に育てたい

五洋食品産業株式会社
舛田 圭良

逆境からのリ・スタート

舛田 圭良(五洋食品産業株式会社)インタビュー写真

 風聞、人の噂というものは聞き流しているときにはさしたる感触がないものだが、いったん攻撃の的が絞られ、束になって動き出すと一つの会社を転覆させるほどの力を示す。リスク管理としてそのことを受け止めている経営者は多いが、その矢面に立った者は少ない。さらに、風聞によってすべてを失うという逆境から蘇った経験者となると数えるほどだろう。舛田圭良さんはその1人だ。

「うちはポンコツだったんですよ。でも信念を持って頑張ったら、一緒にやってくれる人が出てきて助けてくれた。だから、『失敗したらどうしよう』という心配はしないで、『やると決めたらやり抜こう!』。そう、会社の皆には言い続けてきました。何しろ、私ほどに失敗を体験している人間はいないですから(笑)」

 2000年のことだった。父が起こしたナチュラルチーズ加工業の会社は、創業から四半世紀を経て地域に根付いていた。業務用のチーズだけでなくピザやグラタン、片手間でチーズケーキなども製造し、近隣の飲食店や販売店に卸していた。
 ある日、そのケーキに「カビが生えていた」という連絡が入った。それは起こしてはいけないことであったが、当時は「謝って、取り替えさせていただこう」という程度の軽い受け止め方で対応してしまった。その結果大々的な回収事故に発展しマスコミに取り上げられた。自業自得ではあったがその見出しには、なんと「食中毒事件」と大書されていた。
 直前に、日本中を巻き込んで報道された大手乳業メーカーの集団食中毒事件が起きていたことが拍車をかけた。マスコミはこの福岡の事件もその延長線に位置付け報じたのだ。事件の3年前に東京で就職していた自動車会社の設計部門を辞め、家業を継ぐために働き出していた舛田さんであったが、その会社はあまりにも簡単に崩壊していった。

「会社といっても10人程度の社員とパート、アルバイトで、役員・社員はほとんど親族でした。事件が報道されたことで一気にお客様離れが起きて、取り引きはすべて打ち切り。その厳しい状況の中、醜い争いの末に親族も社員も見切りをつけ離れていきました。銀行からも資金を引き上げられ事実上の破綻です。事件の事後処理に追われる中、社長だった父も病で倒れ、すべての対応を私がしなければならない立場になってしまいました」

 会社の冷凍庫には、返品され出荷できないケーキが山と積まれていた。営業経験もない舛田さんにできることは、それをクーラーボックスに入れて担ぎ、電話帳で訪問先を探して、飛び込み営業を行うことだけだった。報道の影響は思った以上のものがあり、どこに行っても「事故を起こした会社」と言われて、門前払いされた。

生協の個配ルートに乗り、冷凍ケーキが大ヒット

舛田 圭良(五洋食品産業株式会社)インタビュー写真

 「もうダメかもしれない」と途方に暮れる中、ある人との出会いが転機となった。営業活動先で会った大手冷凍食品卸会社(以下、A社)の品質管理部長が偶然福岡出身で、里帰りのついでに工場を訪れてくれたのである。倉庫を改造した工場を見た評価は「これは論外」と大変厳しく、「これからの時代は安心・安全を最重視した工場にしないといけない」というものだった。
 そして、「私が指導するから、食品の製造工程における管理システムHACCPに基づいてこの工場を改善しなさい」と協力してくれた。舛田さんと残った数名のアルバイトたちは、その指導に基づき、資金が無いため自分たちでセメントを張り、ペンキを塗り、工場を自力で改善した。
 工場の改善後は、商品開発と販売面でも相談に乗ってもらい、舛田さんたちは一からケーキづくりを見直していった。倒産と背中合わせでの作業であったが、そこには一縷の希望があった。

「A社の取引先に生協がありました。当時、生協は共同購入制から、家庭ごとに配達する『個配』に転換している時期でした。そして、冷凍食品もドライアイスを入れて個配で販売することになったのです。『注文用の紙面を彩るスイーツにも力を入れる』。A社の方からその話を聞いたとき、『製造されたときがゴールではなくて、食べるときがゴールになるケーキを作ろう』とひらめいたんです。自分は、エンジニアでしたから『これは実験だ』と、皆と一緒に何度もトライ&エラーを繰り返し、解凍したときがゴールになるおいしいチーズケーキを模索しました」

 そうやって、やっと一つのベイクドチーズケーキが完成した。A社で行った試食会でも、数十回もダメ出しの末、やっと「おいしい!」と合格をもらい、A社を通じて生協で販売してもらえることになった。過去の事故を懸念した生協には「当社(A社)がちゃんと指導するから」と説得してもらった。最初の注文は、1パック4個入りの商品が百パック程度だった。それでも舛田さんたちにとってはうれしさがこみ上げる発注だった。
 おいしいもの、便利なものは評判を呼ぶ。冷凍のベイクドチーズケーキは賞味期限が1年(家庭の冷凍庫では3ヶ月程)なので、冷凍庫に入れておけばお客様が食べたいときに食べられる。チラシの中の『組合員の声』欄でも評判になり、注文の単位は千単位、そして万単位になった。

「ベイクドチーズケーキは大ヒット商品になり、生協の中での取扱品目で1位を記録したこともありました。その後は、別の生協組織からのオーダーで、やったことのなかったモンブランを作り、これが月に数万パックの出荷になりました。それから、苺・抹茶・生チョコのモンブラン、多種のフルーツを載せた華やかな冷凍ケーキなどを出しました。当時、どこもやっていないということですべてがヒットして、売上はどんどん大きくなりました」

新工場の建設と、TOKYO PRO Market上場

舛田 圭良(五洋食品産業株式会社)インタビュー写真

 ヒット商品が続く中で、舛田さんは、より近代化された「安心・安全が見える化された工場を建てたい」と考え、新工場の構想を描き始める。未来像の新工場の敷地面積として1,500坪程度を考えていたため、福岡市内での土地探しは価格も高く難航した。
 新工場は無理かとあきらめかけていた頃、糸島市の工業団地に価格は福岡市の5分の1で1区画だけ空きがあるという情報を得て、舛田さんは現地に足を運ぶ。そして、「ここしかない!」と、いきおい購入を決断する。
 土地代の1億2,000万円は、ベンチャーキャピタルと地元や取引先の会社、従業員からの出資を得て支払い、建築費の5億円は中小企業金融公庫(当時)の貸付制度と、総務省のふるさと融資制度を利用して借り入れた。完全な先行投資に周囲は皆反対したが、自分たちの商品に安心・安全のお墨付きを与えるためには、どうしても避けて通れない新工場建設であった。

「2006年に場所を決めて、実際に工場が建ち、稼動したのは4年後でした。私と従業員皆でHACCPを勉強し直して、設計図をひいて造った工場です。リーマン・ショックや冷凍ギョウザ事件など、環境も悪く何回もあきらめそうになりましたが、何とか建てられたときはうれしかったですね。思えばあのタイミングで決心していなければ工場建設は実現しなかったでしょう。」

 新工場とともに将来に向けて大きなステップと舛田さんが考えたのが、株式上場である。回収事故後に資金難で苦しんでいた頃に、意味もわからず株式上場の勉強会に出て、失笑をかったことがあった。その悔しさに、「10年以内に上場会社になって見返してやる」と心深く期するところがあった。

「私の上場に対する考え方はチャレンジングなところがあるので、周囲の理解はまったく得られていなかったと思います。誰もが、上場というものは『立派な会社の証』だから『とんでもない』と言うわけです。でも、私は知れば知るほど上場はゴールではなくて、会社が成長するためのジャンプ台=ツールだと思うようになっていました」

 2012年5月、同社はTOKYO AIM(現在のTOKYO PRO Market)に上場した。10年越しの目標を達成したが、上場をジャンプ台と言う舛田さんは、上場によって得られるメリットを最大限活用することが重要であると考えている。

「まず、知名度の獲得と情報発信力です。上場したら良いことも悪いことも新聞に載ります。以前のような悪いことがあればダメージはありますが、新商品開発とか新しい販路とか、海外進出とか、良いことについても地元紙、経済紙が取り上げてくれます。こんな広告はありません。そして若さ溢れる新卒社員が増え賑やかになりました。

 それから、従業員の考え方が変わります。上場する前はコンサルタントに来てもらって会社を変えようとしても、なかなか長続きしません。ところが、上場したら皆が自立して、自分たちだけで回り始めたわけです。たとえば営業マンも取引先から『上場企業ですよね』と何度も言われることで、『ああ、見られているんだ』と自覚します。一度発表した数字には責任を持たなければいけないということがわかり、その達成のためには自分がどうしたら良いか考えて行動しています。
 もちろん上場コストはかかりますが、得られる知名度に伴う成長の原動力はもっと大きい価値があると思います。
また、上場を機に地元にステークホルダー(株主や社債権者)が多数増えたことによるパブリック企業としての責任を強く意識した経営に、一層身が引き締まる思いです。」

福岡から世界へ

舛田 圭良(五洋食品産業株式会社)インタビュー写真

 新工場の稼動、TOKYO PRO Market上場というステップを上り、自分たちの会社と商品についてより多くの人に知ってもらうことによって、舛田さんの心にポジティブなイメージが大きく広がっている。

「スイーツはこんなに小さなものなのですが、人を笑顔にすることができます。それは、世界共通の普遍的なすばらしい力だと思うんです。たとえば、地元糸島市の商店街活性化などのイベントにケーキのブースを出店すると何百メートルと列ができ、工場直売イベントでは千人単位の集客があります。そのときに、スイーツにはすごい集客力があると気付くわけです。海外でのイベントでも同様です。そこで、まずは糸島市、そして福岡県の皆さんに私たちの冷凍スイーツを知ってもらい、応援してもらうようになることが大事だと実感するようになりました。地元そして社会に育ててもらい、またそこに還すということです。
 この工場は見学ができる造りにしてあるので、次は子供たちが社会科見学や体験学習に来れるようにしたいと考えています。スイーツづくり体験コーナーなども面白いと思います」

 また、事業展開としては1兆円のスイーツ市場の中に冷凍スイーツの確固たる領域を築きたいという夢もある。

「冷凍スイーツの呼び名として、『スイーツストック』という商標を取得しました。けれど、私たちの会社だけでこの領域を囲い込んでいくという気持ちはありません。いろいろな会社と、冷凍スイーツ市場をメジャーにしたいと思っています。スイーツストックが、冷凍スイーツ市場を示す言葉になるくらいに育つのなら、それはそれで面白いと思うのです」

 現在、同社は従来の小売流通ルート、業務用ルートに加え、国内向けにはインターネットを介した自社ECサイトによるダイレクトなBtoCを拡大させると同時に、フローズンの特性を活かしアメリカのほか、東南アジア各国の業務提携先を販売代理店とした海外進出を加速させている。多くの国の家庭の冷蔵庫に冷凍スイーツが買い置かれ、『スイーツストック』が世界の共通語となる日がくる、そんなイメージはあながち遠いものではないのかも知れない。

(文=志澤秀一 写真=和田洋平)2015/02/17

プロフィール

舛田 圭良(五洋食品産業株式会社)プロフィール写真
舛田 圭良
五洋食品産業株式会社 代表取締役社長
1969 年
福岡県生まれ
1993 年
九州大学農学部卒業
日野自動車工業株式会社(現・日野自動車)に入社、エンジンの設計開発を担当
1997 年
チーズ加工業を営む五洋食品産業株式会社に入社
2000 年
同社は回収事故にともなう経営危機に直面したが、代表取締役として同社再生を決意
ビジネスモデルを冷凍ケーキに転換し、「安心・安全」を徹底して第2創業
2012 年
TOKYO AIM(現・TOKYO PRO Market)に株式上場

モットーは「諦めない、逃げない、くよくよしない」

会社概要

五洋食品産業株式会社
五洋食品産業株式会社
  • コード:2230
  • 業種:食料品
  • 上場日:2012/05/28