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熊本からものづくりの未来を世界に発信!原動力は「社員という家族を守ること」

平田機工株式会社
平田 雄一郎

平田機工株式会社 平田 雄一郎

平田雄一郎(平田機工株式会社)インタビュー写真

「人間尊重を貫く」という確固たる行動規範

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 熊本に本拠を構える平田機工は、アイデアや技術に加え、どんな逆境においても不屈の精神で立ち向かうことで、国際的な信頼性を勝ち取ってきた稀有な企業だ。世界40ヶ国以上のトップメーカーに、顧客の要望に徹底して答え、唯一無二の生産設備や製造装置を提供し、いまや『Hirata』の名はグローバルにものづくり産業を支援する一流ブランドとして各国で広く認知されている。多くの企業が海外進出というハードルに苦しむなか、なぜ、同社は地球規模で機能する企業を作り上げることができたのか。社長の平田雄一郎さんはすべてを包み込むように優しい笑顔を浮かべながらこう答えた。

 「先祖代々、とにかく人に優しくあれ、という考えで物事を進めてきました。おおもとにあるのは苦しむ人、困っている人を助けたいという気持ちですね。その精神が、人間の力を何倍にもできるようなシステムづくりにつながっています。格好よく言えば、全人類的な愛ですね(笑)。ところでチャップリンの映画『モダン・タイムス』はご存知ですか?」

 こう言いながら『モダン・タイムス』(1936年アメリカ)のワンシーンを見せてくれた平田さん。画面には、ベルトコンベヤ上から延々と流れてくる部品をチャップリンが悪戦苦闘しながら処理していくというシーンが映し出された。どんどんスピードを増すベルトコンベヤと、これに翻弄される人間。この映画でチャップリンが風刺したのは資本主義の行き着く先にある大量生産の弊害だ。消費を促す社会に押し潰されそうになっていく労働者の過酷な状況や、豊かさを求めるがゆえにせわしなくなる日常の矛盾などを鋭く批判した作品である。

 「ベルトコンベヤのスピードに人間が支配され、強制的に働かされている。休む暇もなければ、立ち仕事なので非常に不安定ですよね。こうした過酷な労働環境はかつて世界中のどこでも見られました。冷静に見れば、こんな状況は間違っていると誰でも思います。こうした矛盾に苦しむ労働者たちを救いたいという気持ちが私たちの原点です。
 そこで開発したのが、いまでは世界基準となっているフリーフローコンベヤ。これによって様々な生産現場での労働環境を大きく改善したいという強い思いが多くのクライアントに支持されているとすれば、それはとてもうれしいことですね。」

 作業者の判断でパレットを止めたり流したりできるフリーフローコンベヤは、世界で初めて平田機工が開発した画期的な生産システム。人の持つ本来の能力を活かすことができ、労働者を人間として尊重した平田の生産システムは、時間や物量に流されることなく人々の創造性を発揮でき、さらに品質や生産性の向上も達成することができる。
 労働者の心情やモチベーションこそものづくりの原動力であるということを、平田機工は世界に示して見せたのだ。「このシステムの開発が当社発展の端緒になった。」と、平田さんは満足げに語った。

不屈の“挑戦心”であらゆる壁を突破

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 平田機工の社員なら誰でも知る“活人倍力“という造語。これは設備のFA(自動)化によって労働者を減らす“省人省力“とは正反対に位置する思想であり、「人間はより付加価値の高い業務を行い、企業は人を最大限活かすことを考えねばならない。」という思いが込められている。いかにも同社らしいこの理念の先に何があるのか、あらためて平田さんに聞いてみた。

 「結果的に作業効率が上がるとか、良いアイデアが出やすくなるということはありますが、それだけを目的としているわけではありません。根底にあるのはやはり、働く人々がより人間らしくあって欲しいという単純で純粋な気持ちであって、どんなに失敗しても、たとえ赤字になっても従業員の首を切らず守るというのが、私の祖父の代から受け継いできた方針なんです。
 長い年月をかけて、こうした労働環境を作ってきたから、当社の社員は難しいことでもなんでも挑戦してくれる。そう、私たちが掲げる理念の先にあるのは“挑戦心”と言うことなのかもしれませんね。」

 この“挑戦心”は、平田機工の歴史を彩るキーワードであり、同社の繁栄を支えてきたエネルギー源でもある。
 
 もとを辿れば、1,000年以上も前、筑後、現在の柳川の蒲池にルーツを持つ平田さんの一族の生き方に有る。戦乱の世を生きるなかでも、戦う時は激しく、助けを求める者には優しくといった精神で世のため、人のために尽くしてきたという記録が残されている。際立った地場産業のなかった明治時代には当時の主が私財を投げ打ち、酒造りを始めた。

 温暖な地方のため酒造りは何度も失敗に終わるが、それでもあきらめずに事業を成立させ、地域にその技術を広めることで地元を酒造りの一大拠点にしてしまう。ところが平田さんの曽祖父は、当主の時代、見目麗しい奥様を亡くしたことから仕事のモチベーションを失ってしまい、蓄財していた資産がたちまちのうちに底をついてしまったと言う。

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「でもこのままじゃいけないということで再起を掛けて韓国に拠点を移すんです。その後、終戦の2年ほど前に今度は私の祖父が日本からの物資による商いで、先進的な工場を構えたり、100を超える山を所有したりと事業を大成功させました。ところが、終戦と同時に財産を全て韓国に置いてくるという羽目に陥り、また裸一貫になってしまう。そうして柳川から熊本へと移り住み、今度は焼け野原の中、何かやれば、儲かるだろうとリヤカーを作ることからやがて平田車両工業という会社を始めた。どれだけゼロになっても諦めずに挑戦して這い上がるという歴史の連続なんですね(笑)。  そんな中で一族が体感したのは、『1人の力には限界があって、団結がなにより大切だ。』ということ。祖父は会社がなくなってもいいから従業員は切るなと言い切る程、労働者を大切にしていましたし、そのDNAはもちろん私の中にも組みこまれています。そしてなにより、挑戦する気持ちは無形の財産として代々受け継がれていますね。」

平田雄一郎(平田機工株式会社)インタビュー写真

信頼を勝ち得るための愚直で積極的スタンス

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 平田さんの言葉通り、同社の繁栄は愚直なまでの“挑戦心”によって築かれてきた。国際的な事業展開の端緒となったGM(ゼネラルモーターズ)との契約は、まさに数知れない挑戦の賜物によって得たもの。このエピソードからは多くの経営者、ビジネスマンが勇気を得られるだろう。

 「1966年、父が渡米して現地のオートマティックな生産ラインを見学し、日本との差に愕然とした。ここから我が社のフリーフローコンベアの開発が始まっていくんです。同時に父はいつかGM、フォード、クライスラーのビッグ3と取り引きしたいと思うようになった。ところが現地法人を作っても一向に契約が取れない。そして1998年に今度は私がアメリカに赴任したんです。私ももちろん世界最大の自動車会社であるGMと取り引きがしたい。そこで計画をたてつつ交渉を始めていくわけですが、まずは『熊本って日本のどこにあるんだ?』ということで、笑いものにされる。話もまともに聞いてもらえないという状況が長く続いたんです。」

 それでも決して諦めなかった平田さんだが、アメリカと日本における自動車産業の歴史の差は覆し難い事実。GMの生産ラインに係わる仕事を受注している業者は少なくとも30年ほどの付き合いによって、GMから鉄の信頼を勝ち取っていた。そこで平田さんは入札時、採算度外視で明らかにどこよりも安価な見積もりを提示してみた。それでも「信用」という大きなハードルを超えることはできなかった。

 「競合他社から営業のキーマンをヘッドハントもしました。でも一年たっても彼は仕事を取ってこない。おかしいと思って聞いてみると、雇っている彼でさえ私たちの会社が信頼できないと言うんです。それほど“信用”を得るのは一朝一夕にはいかないということですね。

 でも私はあきらめませんでした。デトロイトに工場を作るというのは大きな挑戦でしたが、GMとの契約には不可欠なピース。まずはこれを実現し、次は人材の確保、強力なチーム編成に取り組み直しました。1人でなく複数の優秀なスタッフを軸に、時間をかけてGMに近づいていこうと。さらにはGMへ弊社の現地工場を自由に使ってくださいという奇抜な申し出もした。アメリカではホワイトカラーがブルーカラーの仕事をしてはならないという暗黙の掟があるんです。ですから設計責任者であるにもかかわらず、作業はおろか工具に触れさせてもらえないという不文律的な状況がありました。

 そこでHirataの工場をGMのキーマンたちの隠れ家として自由に利用して良いですよと伝えたんです。すると、少しずつエンジンの部品がうちに運び込まれるようになってきて、そこで彼等に作業をしてもらい、私達も一緒にやっていくうちに、結果として、GMのエンジンの事はHirataのエンジニアが一番良く理解しているという状況にまでになっていたんです。要は私たちの思想や技術力の高さを理解して貰えるようになっていたんですよ。」

 己の技術と創意工夫を信じ、巨額の設備投資、人的投資を行うことで少しずつGMとの距離を狭めていったという平田さん。いつしか同社の現地工場は、世界で初めてGMのエンジンが組み立てられた場所に。こうしてACS(アセンブリー・セル・システム)と呼ばれる平田機工の生産ラインが、GMという巨大企業に認められる突破口が開かれたのである。2001年には、GMの大口自動車生産ラインを受注。これを足がかりに『Hirata』はグローバルブランドとして飛躍を遂げていくのである。

熊本回帰!という大いなる決断

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 「先祖代々、ネバーギブアップの精神ですよね。挫折や、たとえ資産がゼロになっても目標は達成するという心意気です。」

 海外での事業が拡大するにつれ、認知向上、資金調達の面から上場を視野に入れた。2006年にはJASDAQ上場、そして今年の2017年6月には東証第一部上場となる。ところが、興味深いのはグローバル市場への展開と同時に達成した1981年の東京本社移転にも拘らず、昨年の2016年には平田さんが生まれ育った地へ再び本社を戻すことにした。その経営判断について理由を聞いてみた。

 「東京を起点としたグローバルな事業展開にはなんの支障も感じていませんでした。ところが故郷で大地震が起きてしまう。熊本県民にとってシンボルである熊本城が傷つき、阿蘇神社が破壊され、各所で甚大な被害が見られました。それを見て私の中に、故郷に対してこれまで何も貢献してこなかったのではという思いがあらためて芽生え、、業務の効率化も見据えた上で熊本とともに生きていくんだということを宣言しました。地元の企業とともにまた熊本を盛り上げていきたいという気持ちも強かったです。正直、決断自体は速かったですね。」

 こうした平田さんの固い決意を、周囲も好意的に受け止めた。4月に地震が発生した翌月、取締役会では全会一致で熊本移転を決定。株主総会で平田さんが本社移転を提案した際は、会場に株主からの賛同の拍手が沸き起こった。

 「地元熊本のサプライチェーンを存分に利用するようになれば、生産コストが上がって業績的には一時的に悪化するかもしれなのでは、といった反対意見が出るかもしれないと一抹の不安は脳裏をよぎりました。それでも総会では提案に対し、株主から拍手が起こったんです。

 もう泣きそうになるほど感動しましたね。私の想いが受け入れられた、決断は正しかったとも思えました。結果として当社が熊本に戻ったことで、他県への移転を考えていた企業さんが思いとどまり、熊本での事業継続を決めたという話をいくつも聞きました。

 熊本で頑張る関連企業はみなファミリーであって、全体として盛り上がることが今は大切だと思っています。アメリカでの事業が拡大し続けているのに、熊本でものづくりを続けているというのは端からみれば奇異に映るかもしれない。でも私たちにとってこの本社移転の意思決定は、ごく自然な流れだったんです。」

 移転後、熊本城の「復興城主」になれるという株主優待も導入した。同社が株主に代わって熊本城復興資金に寄付するというシステムである。こうした熊本回帰の決断によって同社を支持する企業、団体、個人・・、言わばHirataのファンはさらに増え、企業としての地盤も一層、強固になっていくと確信している。

 最後に、学生時代からクルマのエンジンづくりやレースに没頭してきたという平田さん。経営者となった現在、カーレースへの参加は自粛してはいるものの、いつかは熊本オートポリスをスーパーカーで疾駆したいと考えているそうだ。

 「サーキットで300kmも出るクルマを私が運転すると、周りから怒られますのでね(笑)。ですから現実的な夢というか目標のひとつには、会社にとって縁のあるフォードGTを購入することなんです。世界中でも、なかなか購入できないこの夢の車を購入して、会社でディスプレイすれば私だけでなく、お客さんも社員もみな喜ぶでしょうね。(笑)」
 
 そう語りながら、少年のように笑う平田さん。自身の夢と言いつつも、結局は仲間たちやクライアントを喜ばせたいという気持ちが、言葉の裏に透けて見える。事業を健全かつ順調に拡大させていくための秘訣は、できるだけ多くの人を喜ばせること。これまでも、これからも、こうしたHirataの経営は、熊本に回帰しても、決してブレることなく続いていくはずだ。

平田雄一郎(平田機工株式会社)インタビュー写真

(文=宇都宮浩 写真=長谷和仁)2017/08/22

プロフィール

平田 雄一郎(平田機工株式会社)プロフィール写真
平田 雄一郎
平田機工株式会社 代表取締役社長
1961 年
熊本県生まれ
1989 年
平田機工株式会社入社
2002 年
HIRATA Corporation of America 取締役社長
2003 年
取締役第一事業部長
2004 年
HIRATA Corporation of America 取締役会長
2005 年
取締役副社長 事業推進担当 兼 第一事業部担当
2006 年
取締役副社長 兼 執行役員 事業本部長
2007 年
取締役副社長 兼 執行役員 海外事業本部長 兼 技術本部長
2011 年
代表取締役社長

会社概要

平田機工株式会社
平田機工株式会社
  • コード:6258
  • 業種:機械
  • 上場日:2006/12/14