東証Arrows見学

「証券史料ホール」に戻る

場電

場電

写真左は、戦前の昭和16年から昭和20年の間、当時東証が東京株式取引所及び日本証券取引所であったときに使用されていた会員証券会社の専用電話「場電」(木製)で、ハンドルを回して使用する磁石式電話機です。証券史料ホールには、写真右(昭和24年から昭和27年の間使用)のほか、その後使用された場電を見ることができ、時代とともに場電の姿も変わっていった様子を知ることができます。

兜町での電話の歴史は意外と古く、東京・横浜間に官営による電話サービスが開始された明治23年には、既に取引所には2本の電話が架設されていました。当時、電話の加入者は東京155人、横浜42人に過ぎず、電話は非常に珍しい存在であったようですが、この兜町で一早く取引所と同時に電話を設置した株式仲買店として、徳田商店(元内外証券)がよく引き合いに出されます。

徳田商店は、明治21年、徳田孝平氏によって開業された株式仲買店で、当時から の屋号でこの兜町界隈では知られていました。徳田商店の電話の利用については、昭和初期に古老から聞いた話を絵入りでまとめた『東京株式取引所沿革図解巻軸』にも登場しています(下の写真)。

東京株式取引所沿革図解巻軸

福山友三郎氏(福山証券の創業者)の回顧談として、「わたしが兜町へ来たのは明治30年で、数え年16のときです。徳田昂平さんの先代、徳田孝平さんの店に入りました…電話は1本だけありましたが、電話のないうちがたくさんありました。ある小僧が『おれのところへ来ないか、おれのところは待遇がいいぞ』というと、ほかの小僧が『いってもいいけど、お前の店には電話があるか』と、まず聞いて、『ない』というと『じゃ、止めた。骨が折れてかなわんよ』といった調子で、電話のある店には小僧の行き手がありましたが、電話のない店には、小僧の使い走りの用が多いので行きたがらなかったもんです。」という話もあります。

明治から平成にいたるまで、場電は情報伝達の手段として活用されてきましたが、取引の全面コンピュータ化によって、平成 11年4月をもって場電による取引は廃止されました。