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戦時中に発行された債券

第六回大東亜戰争割引國庫債券(写真左)、第壹回割増金附戰時貯蓄債券(写真中央)、第五回割増金附戰時報國債券(写真右)

写真左は、昭和17年12月に発行された国債『第六回大東亜戰争割引國庫債券』(10年、額面10円)、写真中央は、同年2月に発行された『第壹回割増金附戰時貯蓄債券』(20年、額面7円50銭)、写真右は、同年10月に発行された『第五回割増金附戰時報國債券』(10年、額面5円)です。これらの債券、「戦時」という言葉や描かれている図柄(戦車・戦鑑)からして、随分と“物騒”な代物のようす。

第二次世界対戦に突入した当時の日本は、「大東亜共栄圏の建国」の名のもとに戦時体勢を強化し、巨額の軍事支出をまかなうため、政府は巨額の赤字国債を増発しました。国債の大部分は日銀引受けで発行されましたが、軍事費の膨張を尻目に国債の市中消化は漸次困難となり、悪性インフレーションの元凶となっていきました。

こうしたインフレーションを浮動購買力の吸収により抑制することを目的に発行されたのが、利付きの「貯蓄債券」や割引方式の「報國債券」でした。これら二つの債券は、資金を軍事産業に優先的に投入することを目的とする「臨時資金調整法」に基づき発行され、宣戦布告とともに“戦時債券”として知られていきます。この種の債券は、昭和17年には20億円、翌年には50億円発行され、それ以前に発行された日露戦争(2,000万円)、関東大震災 (8,400万円)と比べますと、今回の発行量が如何に大きかったかが分かります。

国債の一般への売出しは郵便局で行われ、“戦時債券”については、郵便局、各種金融機関のほか、たばこ屋やデパートなどでも行われ、大衆の購買に便宜が図られました。また、国債と“戦時債券”の売出日を合致させたり、その宣伝を共同で行うなど、債券の市中消化については相当の努力が図られたようですが、このことも当時の日本が、いかに大規模な資金調達を行っていたかを物語るものと言えます。

その後、戦時体制は日を追うごとにますます強化されていきますが、昭和18年6月には、65年の歴史を持つ東京株式取引所の幕も降ろされることとなります。