上場会社トップインタビュー「創」

株式会社薬王堂
  • コード:3385
  • 業種:小売業
  • 上場日:2005/09/15

無限の夢を、わずか5.5坪からのスタートで

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)インタビュー写真

 いまや、日常の生活に欠かせない存在として、全国各地で目にするドラッグストア。医薬品や化粧品だけでなく、食品や日用品など幅広い生活必需品の品揃えが支持を得る大きな理由だ。2013年度の統計では日本全国のドラッグストア店舗数が1万7,000店を突破し、売上規模は6兆円超え(「日本チェーンドラッグストア協会」調査)を記録。2000年以降、店舗数、売上規模ともに年々増加し続ける、活気に満ちた業界だといえる。

 そんな業界の中で、東北地方において急速に発展を続けるドラッグストアチェーンが薬王堂だ。豊富な商品ラインアップと、安定的な出店数増進、さらには物流センターの活用による販管費率の抑制など。地域住民のニーズを的確に捉えつつ、極めて効率的な経営を実践する同社。将来的には、他チェーンが二の足を踏む5,000人商圏においても積極的に出店し、より広範な地域住民の生活サポートを行っていく計画を持っている。

 1978年4月、記念すべき第一号店の売り場面積はわずか5.5坪。このスタート地点を振り返り、代表取締役社長の西郷辰弘さんはこう話す。
「初めて出店した岩手の都南村は盛岡市に近いこともあって、まさにこれから発展しようとする新興住宅地でした。そういう場所で営業を始めたことで、徐々に増え続ける住民の方々のニーズを理解すること、また、発展しようとする地域に貢献できたことは幸運でしたね」

 第一号店オープンの翌年には、二号店を出店。どちらもスーパーマーケット内の一部のスペースへの出店だったが、1982年には同社初の独立店である矢巾店をオープン。順調に店舗を増やしていく。スタートは、薬剤師だった妻の故郷への里帰りを契機に、夫婦二人で始めた小さなドラッグストアだったものの、早期に多店舗型の展開が急速に進行。その経緯について、西郷さんはこう説明する。

「学生時代から起業したいという気持ちを持っていて、その頃から東証一部上場企業をつくるということをひとつの目標にしていました。ロマンというか野心というか、とにかくやらなくてはいけないという気持ちを当初から強く持っていたんです。

 ですから第一号店をオープンした直後の数年は、とにかく店をたくさんつくろうということだけ考えていた。実際、一号店、二号店をスーパーマーケットの中のテナントという形で営業してみると、集客面でのメリットは十分感じたものの、売り場面積はもとより、様々な経営方針が非常に制限され、品揃えのコンセプトにおいては置きたい商品を置けないということを感じてしまった。そこで三店舗目からは単独店での展開を始め、どんどん店を増やすという姿勢を強めていきました」

多店舗展開化へのシフトと、資本対策の重要性

売上規模を増大させるべく、多店舗化を図った薬王堂。だが、質の向上なくして店舗を増やしていくことはできない。どうすれば質を向上させ、スケールを拡大していけるか。そのヒントは、1989年に参加したチェーンストア経営の研究団体で学んだことから得られた。この団体は、流通業界において日本を代表するチェーンストアのトップが若手時代に勉強の場として利用し、長年に渡り、チェーンストア経営の理論、システムなどを学べる場として機能していた団体である。

「チェーンストアの本場であるアメリカを視察して、やっぱりこういう形が正解なんだとカルチャーショックさえ感じました。幅広い商品展開を実践するスケールの大きな店舗、システマティックなオペレーション、そして、多店舗化。低価格の実現によって地域住民を支えながら企業と社会が発展していくという流れ。

 学んだことの中でも大きく私に響いたのは、“標準化”というフレーズです。どの店舗も商品やサービス、設計などを標準化することで、出店コストや商品価格を抑えることができ、結果として消費者に安心で、より良い商品を安く提供することができる。アメリカの事例を目の当たりにして、まだまだ日本は遅れていると思いましたし、標準化を実現していくためには、やっぱり店舗数が必要なんだとあらためて感じました」

 このクラブでは企業のスケールを拡大していくため、とにかく資本対策に尽力すべき、という重要な方針も学んだ。さらなる拡大を目指し、1991年には株式会社へと組織変更。一億円までは個人の貯蓄を資本に注ぎ込めという教えのもと、一心不乱にそれを実行した。

 一方で理論だけに頼らず、経営では本来有していた感性も大切にしてきたという西郷さん。チェーン展開するうえで成否を分ける、出店の立地確定判断。住民にとってのアクセスの良さ、競合店の存在、商圏として存続できるか等、判断材料はいくつも存在するが、それだけに頼らず、自身の感覚も大事にしているという。

「出店を検討している場所へは自分で出向いていき、お客様の立場に立って、そこに店があったらどうなるかと納得できるまで考えるのが基本です。現実が、公式通りにならない場合だって多い。もちろん理論や公式も大切ですが、人を相手にするビジネスですし、その土地で何が求められているかを自分の頭で考え、感じるのはとても重要なことだと思っています」

 2016年2月期には前年比16.2%増の売上高669億円を記録。2017年2月期業績予想も増収増益、全店舗数219を見込み、来期以降には福島県にも南下する計画だ。こうした現在の数字、計画だけを見ると、毎年、右肩上がりの成長を続けてきたようにも思えるが、大きな危機も体験してきた。

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)インタビュー写真

ピンチから学んだ危機管理とポジティブ経営

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)インタビュー写真

最初の危機は08年のリーマンショックだった。その年の決算は創業以来、初の減益。外部要因とはいえ、西郷さんは経営立て直しのため難しい舵取りを迫られた。

「2008年の収益が相当落ち込み、その翌年、このままではまずいと強く感じるようになりました。そこで過去を振り返ってみると、2005年にジャスダックへの上場後、出店判断の状況が少し甘かったということに気づきました。
私自身、事前に開発物件をくまなく見ることができておらず、成長を急ぐあまりに無理して出店してしまっていた案件が多くなりつつあったんです。そこであらためて基準を見直し、慎重に出店していこうと思い直した。ですから2009年の出店は当初計画より減らし、6店舗にとどめたんです」

 その後、経営環境は次第に落ち着きを取り戻し、2010年には売上、出店数ともに順調に回復したといえるレベルに到達。薬王堂は危機に臆することなく、これを成長の機会へと変えてしまったのである。

 ところが、ようやく自信回復をしたと思われた矢先、より大きな衝撃が日本全土を襲う。2011年、東日本大震災である。ちょうどその頃、出店候補地を現地視察していた西郷さん。当時をこう振り返る。
「津波が大きな問題でしたから、沿岸の店がどうなっているかをまず把握しなければと。当初は停電も続いて状況がわからなかったのですが、情報が入るようになると、震災によって生活物資の不足した住民が多数、店舗にやってきているということでした。そこで、まずは従業員の安否確認、そして、物資を各地の店舗へ運ぶということに集中した。道路が閉鎖されたり、給油にも苦労したりするなか、とにかく商品を各店舗へ届けようと、社員全員が必死で動きました」

 甚大な影響により、東北では営業の続行を即座に断念した企業も当然、少なくなかった。薬王堂も結果として11店舗が被災の影響で閉鎖。その心理的、物理的なショックは決して少なくなかったはずだ。
「それでも会社が潰れてしまうといったことは全く考えませんでしたね。リーマンショックという別の意味での経営危機を乗り越えたということで、気持ちも強くなっていたんです」

 確かに店舗そのものが崩壊してしまったケースや、商品の棚が大きく損傷したことで客を店舗内に入れられないケースなど、被害状況は散散だった。だが、生活必需品を求める客の数は増える一方。そんな状況で、西郷さんをはじめ薬王堂のスタッフは日常では感じることのできない、様々な気づきも得た。

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)インタビュー写真

「スタッフ全員が、できることは何かを自ら考え、なんとか住民の力になろうと冷静に対応した。130店舗中、97店舗が震災直後の停電の中、日没まで必死で営業を続けたんです。翌日には110店舗、そして3月24日までには119店舗が営業を再開。それほど迅速に体制を整えられたのは、私だけでなく全社員が、社会インフラとして小売業の役割を痛感したからです。医薬品だけでなく、身の回りの品も広く揃えているのが私たちの店舗の特徴。その品揃えがどれだけ住民の生活を支えているかを、震災での体験を通じ、あらためて感じることができたんです」

 そして震災から約2週間後には営業不能だった店舗の再開や業績の見通しなど、早くもポジティブな展開を見せ始めた薬王堂。新規出店の計画も縮小することなく、その年度に予定していた10店舗のうち7店舗の出店も実現。危機を乗り越えるどころか、増収増益さえ見据える経営手腕に業界内外から注目が集まった。

「私が大切にしているドラッカーの言葉が2つあります。一つは“過去よりも未来”という言葉。もうひとつは“問題でなく、機会と捉えよ”という言葉です。つまり過去に囚われても仕方ないですし、今の問題を処理するだけでは元に戻るだけで終わってしまうということ。問題とか危機をチャンスと捉えて、元にいた地点より先へ進まなければ進化できない。ですから店舗の復旧だけでなく、新規出店も積極的に行うというのは私にとって自然な流れだったんです」

 その言葉通り、震災の翌年は好調な業績を残す。そして震災の二年後には東京証券取引所市場第二部に上場。その翌年には第一部上場を果たすことになる。傍目から見れば、震災を境に、成長スピードが一段、上がったようにも思える。1995年の阪神淡路大震災発生直後、それでも営業を続けているコンビニエンスストアの灯りは“灯台”にもたとえられた。そのエピソードに感銘を受け、かねてから、小売業という業態は営業しなければ何の意味ももたないと社員に話していた西郷さん。震災によって、その言葉はより力強く、社員たちへ響くようにもなったという。

「震災は、手塩にかけた店がなくなってしまうという悔しさをもたらした。同時に悔しさがバネとなって、一部上場への前向きな気持ちがより固まっていった感覚はありますし、予定よりその時期が早まったのも確かです。また震災を経て、私たちの店舗が人々の生活を支えているということを、私自身、社員に対してはっきりと言えるようにもなりました。震災という大きな体験で私も社員たちも、店を営業することの意義について再認識できたからこそ、会社全体の成長への意識も高まっていったのだと思いますね」

社会に貢献するという、強い決意の芽生え

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)インタビュー写真

 震災の翌年には、震災遺児の進学を支援する『みちのく未来基金』(*1)に寄付金を進呈。売上金の一部から寄付を行うというこの支援は現在も続けられている。被災した地域を見て回る中で、西郷さん自ら、遺児たちの成長を支援する必要があると判断したからだ。

「大学だけでなく、大学院まで含めて25年間。学びたいと思っている遺児たちを継続的に支援していくシステムで、遺児たちはお金を返す必要もありません。そんな遺児たちがこのシステムを利用して、そろそろ社会に出てくるようになってきました。その子たちが今度はこの公益財団法人に寄付をしたり、社会貢献活動に参加したりするようになっていくでしょう。地域の人々と企業が密接に関わりあいながら、お互い発展していくというのは健全かつ素晴らしいことですよね」

 15年以上も前に立てた中期目標は300店舗、売上3,000億円。そのうち出店数の300は2021年に実現できるメドが立った。目標到達までのスピードが早まったのも、同社が危機に屈することなく、チャンスに変えてしまったからだ。自身の趣味はとたずねると、「温泉めぐりで心身をリラックスさせること」と答えた西郷さん。こうしたオンオフの切り替えが、どんな時にも冷静に思考できる“平常心“につながっているのかもしれない。

「私は元来、強い人間ではありません。だからこそ自分や他人をごまかさず、安易な方向に逃げず、諦めずにやり遂げる必要がある。“ごまかすな、逃げるな、諦めるな”というフレーズは、私が大切にしているもの。もちろん気持ちがグラつくこともありますが、そういう時はこの言葉を思い出すことにしているんです」

 店舗を出店することが、地元住民の笑顔を増やすことにもなると話す、西郷さん。その表情からは、危機を乗り越えたという自信と、地域貢献に向けた新たなる決意が、確かに感じ取れた。

*1.『みちのく未来基金』とは
東日本大震災において被災し、両親またはどちらかの親を亡くした子ども達の進学支援をするため、ロート製薬、カゴメ、カルビーが合同で設立した奨学基金。甚大な被害をもたらした東日本大震災において、復興の礎となるのはこれから育つ次世代の若者たち。彼らが夢や希望を捨てずに育つことが復興の要と考える賛同企業等は、現在、80を超える。

(文=宇都宮浩 写真=佐々木文徳)2016/12/13

プロフィール

西郷 辰弘(株式会社薬王堂)プロフィール写真
西郷 辰弘
株式会社薬王堂 代表取締役社長
1952 年
千葉県生まれ
1977 年
株式会社小田島に入社
1978 年
都南プラザドラッグを設立
1981 年
有限会社薬王堂を設立 代表取締役
1991 年
株式会社薬王堂に組織変更 代表取締役社長(現任)

会社概要

株式会社薬王堂
株式会社薬王堂
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  • 業種:小売業
  • 上場日:2005/09/15