上場会社トップインタビュー「創」

ソフトマックス株式会社
  • コード:3671
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2013/03/12
野村 俊郎 永里 義夫(ソフトマックス株式会社)"鹿児島発のWeb型電子カルテシステムで全国展開を狙う”

九州での城づくりからスタート

野村俊郎(ソフトマックス株式会社)インタビュー写真

 2013年3月。野村さんは上野の西郷さんを訪れた。
「いよいよ明日、全国に打って出ます」。
 犬をつれた大きな姿を見上げると、心の底から勇気がわいてくる。
「きばいやんせ」の声が聞こえるようだった。

 2013年3月12日、鹿児島に本店を置くソフトマックスはマザーズに上場。会長である野村さんは、役員、部課長を鹿児島から呼びよせ、全員で鐘を鳴らした。

 大病院では、患者はカードで受付を済ませると、検査、診察、会計、出される薬まで一括で管理される。このシステムを自社で開発しているのがソフトマックスだ。病院をターゲットに電子カルテシステムなど総合医療情報システムを開発し、販売、保守サポートを行う。しかも競合各社がクライアントサーバー方式をとるなか、いち早くWeb方式を開発し、厚生労働省が推進する地域医療ネットワーク型の医療システム構築を可能とした。この最先端技術を、どうして鹿児島の地で開発できたのだろう。会長の野村さん、社長の永里さんに伺った。
ソフトマックスの前身は、1974年、野村さんが鹿児島市で立ち上げたビクター計算機九州販売株式会社だ。1970年代はメカ式四則計算機が開発され、コンピュータへと移っていく過渡期である。その後、給料計算ができる1024ステップの電子計算機は、軽自動車が買えるぐらいの金額で販売されていた。次々と出てくる新しい技術に目を丸くしながら、野村さんは「これからはコンピュータだ!」と感じていた。野村さん26歳、従業員は二人だった。

 1978年頃よりアプリケーションの開発を始めた。メーカーから仕入れる商品は非常に高く、販売しても1割ほどしか利益が出ないのだ。まず、医療事務系のコンピュータ「V1シリーズ」を開発。タイミング良くミロク経理よりOEMで欲しいと依頼もあり、開発資金も調達できた。企業向けの販売管理や在庫管理のアプリケーションも開発して、順調に業績を伸ばしていく。会社名も鹿児島ビジネスコンピュータと改称し、宮崎、熊本、久留米、福岡と、次々に会社を設立していった。

「九州の各県に城を作っていったような感じです。コンピュータは全部、メーカーですから。江戸(東京)で決めごとをしておりてくる(笑)。それだけならいいのですが、ビジネスでも攻めてくるんですね。とにかく垣根を作らなければいけないと、若気の至りで九州地域に会社を作っていきました」

永里社長との出会い

永里義夫(ソフトマックス株式会社)インタビュー写真

 20年間でほぼ九州の営業網が完成すると、今度はハードも作れないだろうかと考え始めた。コンピュータ、サーバー、すべて自社開発できれば江戸(東京)に脅かされることもない。そうしたときに出会ったのが、永里さんである。1998年、京セラ系の仕事をしていた永里さんをヘッドハンティング。永里さんの地元である宮崎にサイバーウェイ株式会社を設立して、本格的にサーバーの作成を始めた。

 その頃のいちばん大きな実積は信濃町にある慶應義塾大学病院である。慶應義塾大学病院は一日3600人の患者の受付を行っており、これをシステム化するコンペに参加した。一人の患者がカードを入れて受付シートを受け取るまで4秒以内という条件に対して、永里さんは1.6秒で実演。圧倒的な早さでコンペを獲得したのだ。こうして開発・製造は永里さんのサイバーウェイ、販売は野村さん率いる5社が担当するという形ができあがっていった。

 九州で盤石の体制を築いた野村さんだったが、「このままではいかんね」と思っていた。いよいよ九州から出る時がきたようだ。全国に向かうからにはビジネスパスポートが欲しい。2001年、野村さんは最大の目標は上場だとぶち上げた。

野村俊郎 永里義夫(ソフトマックス株式会社)インタビュー写真

「実は上場の意味もよくわかっていませんでした。ただ信用をつけるには上場だと思ったんです。九州の5社を統一して鹿児島に本社を作り、会社名もソフトマックス株式会社と変更しました。東京にも店を作るということで、どこに支店をつくればいいですかと聞かれたから『そりゃ、西郷さんとこに決まっとるじゃないか』と言ったんです(笑)。それで上京してみると、上野というところは下町も下町、朝夕は水を撒いたりお豆腐屋さんがあったりしてイメージが違う。東京駅も行き過ぎているし、『これじゃ参勤交代、越えているじゃないか』と思いました(笑)」

 とはいえ西郷さんのお膝元。ありがたく上野で営業を開始する。しかし薩摩人に関東の風は冷たかった。北に行く程、会社名が通らなくなるのだ。銀行からの資金調達も厳しかった。 「上場すると周りに言いまくっていたのですが、銀行は担保や保証人がないとまったく相手にしてくれませんでした。私は知り合いも多いですが、保証人になってもらったことは1回もありません。保証人が必要と言われたら、そこで断念。資金集めでは本当に苦労しました」

 そんななか、唯一「やってみなさい」と言ってくれた銀行があった。何億という金額を、信用で貸してくれたのは鹿児島銀行だった。

「本当に有り難かったですね。熱意だけの僕のプレゼンに対して、いいでしょうと言ってくださった。銀行には毎年自ら、決算書を持っていき1年の報告をし、行くと質問と指導もしてくれて、よし頑張れと言ってくださるんです。これがすごく励みになりました」

上場準備を勝手に進める

 野村さんが東京で営業拠点づくりに励むなか、永里さんは病院向け電子カルテシステムの開発に取組んでいた。1999年、厚労省がカルテの電子媒体による保存を許可したことがきっかけだ。永里さんは医事会計システムとオーダリングシステムをつないで、医者がオーダを打つと即座に会計にデータとして請求データにできるというシステムを構築。2002年には「HONESTオーダV1」をリリースし、2004年には「HONESTカルテV1」電子カルテシステムも完成させた。医療情報システムに独自の強さを見せるようになったところで、野村さんはあらためて3つの決断をした。

「目的は全国展開です。そのためにまず一つは製販一体にすること。富士通など大手と戦うためにはみんなで一緒に頑張らないと勝てません。そこで、永里社長に鹿児島に来てくれとお願いして、ソフトマックスがサイバーウェイを吸収する形で合併しました。二つ目は事業内容を医療関係一本にしぼる。私たちはビジネスソリューションでやってきましたが、ビジネス系は業種が多岐にわたるので、アプリケーション開発が大変です。やはりどこかに特化しないと、最先端の技術開発はできません。医療は国の方針で進みますから、その最先端でやっていこうと決めました」

 そして3つめが、本気の上場である。実はこれまでは自分でも半信半疑だった。しかし今回は違う。永里さんは「上場するのだったら行きます」と吸収合併を了承してくれたのだ。これで野村さんの腹は決まった。「上場するぞ」の声は俄然高まり、「また言っている」と思っていた社員も、これは本気だぞと思い始めた。この頃になると、証券会社もちらほらと現れるようになった。

「でも、証券会社はまだ本気じゃなかったですね。上場するにはあれをしなければいけない、これをしなければいけないと話だけして帰っていく。だから、じゃあ自分たちで上場したつもりでやってみようと、勝手に始めたんです。ミッションを作ったり短信を作ったり、決算書もばんばん公開しました(笑)」

 こんな会社があるだろうか。およそ日本の経営者は、四半期情報の提出や予算化などは面倒くさがるし、上場前に慌てて人を採用して四苦八苦するものだ。しかし野村さんは証券会社がまだ相手にしていないにもかかわらず、「自分たちでやっておこう」と見よう見まねで始めたのだ。

医療情報システムの最先端、web型の完成

永里義夫(ソフトマックス株式会社)インタビュー写真

 上場準備を勝手に始める一方、医療情報システムの最新技術であるWeb型電子カルテシステムの開発も進めていた。従来はクライアントサーバー方式で一つの病院でシステムを構築する形だが、これをWebを利用したクラウド型にする。するとどこからでもアクセスは可能となり、たとえば地域の病院をネットワークして相互にデータのやりとりが可能となるのだ。もちろん高度なセキュリティが必要となり技術的には大変難しい。野村さんと永里さんは、国内で優秀なエンジニアを探し、さらに中国、大連に多い時は20名のスタッフを派遣して開発に力を入れた。たっぷり2年をかけ、オリジナルのWeb型電子カルテシステム『PlusUs-カルテV3』は、2011年に完成した。

 この頃から証券会社が本気になり、2年後の上場に向けて走り出す。監査法人も入ってきた。もちろん、ほとんど上場準備はできている。そして2013年3月、ソフトマックスはマザーズに上場。野村さんは「さらなるステージへ!」と叫んで鐘を鳴らした。

 上場を目指して走り続けてきたが、実は上場は一つの手段に過ぎない。野村さんの目標はWeb型電子カルテシステムの全国展開なのだ。

「夢をずっと追いかけてやってきました。目標があると人間、助かる道が多いんです。鹿児島の産業を育てろと、鹿児島県をあげて地域が応援してくれて、後押ししていただきました。これが上場達成の3割を担っていると思います」

 生粋の薩摩人である野村さんは、人とのつながりをとても大切にする。たとえ先輩が200メートル先にいても、走っていって挨拶し、つきあいは絶対に断らない。しかし目下には厳しく指導する。これは薩摩藩に代々伝わる郷中教育というものだ。そこに永里さんのおっとりした宮崎県気質が加わって、ソフトマックスの懐を深めている。性格の異なる野村さんと永里さんのコンビは、かつてソニーの礎を築いた井深大氏、盛田昭夫氏を彷彿とさせた。

 今後、政府方針に基づき、クラウド型の地域医療連携はどんどん広まっていくだろう。実際、京都の武田病院では、ソフトマックス開発のWeb型電子カルテシステムを利用して、地域の病院とネットワークを組むサービスを開始している。いずれ医療機関の連携は全国に広まり、1人1カルテ時代がくる。

 この大きなマーケットを目指してソフトマックスは、仙台、秋田と北へと向かう。
「鹿児島ですか、遠いですね」と言われることもあるが、デジタル回線によるWebの時代だ。まじめで温かい南九州人が育てるシステム、そしてしっかりとしたサポート体制は、きっと日本全国で喜ばれていくに違いない。

(文=江川裕子)2014/11/14

プロフィール

野村俊郎(ソフトマックス株式会社)プロフィール写真
野村 俊郎
ソフトマックス株式会社  代表取締役会長
1974 年
ビクター計算機九州販売(株)設立
1978 年
(株)鹿児島ビジネスコンピュータに商号変更
1979 年
(株)宮崎ビジネスコンピュータ設立 代表取締役
1982 年
(株)西日本ビジネスコンピュータ設立 代表取締役
1985 年
(株)スペック設立 代表取締役 (株)日本メディカルシステム設立 代表取締役
1990 年
(株)リンクス設立 代表取締役(現任)
1998 年
サイバーウェイ(株)設立 代表取締役
1999 年
(株)鹿児島ビジネスコンピュータ 代表取締役会長
2001 年
ソフトマックス(株) (鹿児島ビジネスコンピュータが宮崎ビジネスコンピュータ、西日本ビジネスコンピュータ、スペック、日本メディカルシステムの4社を吸収合併し商号変更) 代表取締役会長(現任)

プロフィール

永里義夫(ソフトマックス株式会社)プロフィール写真
永里 義夫
ソフトマックス株式会社  代表取締役社長
1979 年
高千穂電気(株) 入社
1992 年
同社 取締役
1998 年
サイバーウェイ(株)設立 代表取締役
1999 年
(株)鹿児島ビジネスコンピュータ 取締役
2001 年
ソフトマックス(株) (5社合併により商号変更) 取締役
2006 年
ソフトマックス(株)がサイバーウェイ(株)を吸収。ソフトマックス(株) 代表取締役社長(現任)

会社概要

ソフトマックス株式会社
ソフトマックス株式会社
  • コード:3671
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2013/03/12