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株式会社オプティム
  • コード:3694
  • 業種:情報・通信
  • 上場日:2014/10/22
菅谷 俊二(株式会社オプティム)誰も作っていない新しいものを作りたい 第4次産業革命の中心的な企業になる

未来を夢見て、3人でスタート

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

 オプティムはAI・IoT・Robotなどのライセンス販売・保守サポートサービスを行うベンチャー企業だ。2000年、佐賀大学在学中に菅谷俊二さんが立ち上げた。

「小さいころから新しいものを作るのが好きでした。ことさら会社を立ち上げたかったわけではなく、自分たちで面白いものを考えて、みんなで作り出せる場があるといいなと思ったのです。始まりは今まで誰も作っていない新しいものを作りたいという想いです」

 小学校2年生で子ども向けコンピュータに触れた菅谷さんは、小学校3年生のときアドベンチャーゲームのソフトを作って友達に売っていた。次に興味を持ったのは電子工作。小学校6年生のとき父親が読んでいた雑誌が開催していたエレクトロニクスコンテストに、弱い電気ショックを使った目覚まし、「起きなさいよ!!」を作って応募し、佳作入選を果たした。

 ものづくりに興味を持っていた菅谷少年が、現在のビジネスパートナーでもある野々村耕一郎さんと出会ったのは中学時代。この頃にはすでに「人生を賭けて取り組める何かを見つけたい」と思っていたという。もうひとりのビジネスパートナーの徳田整治さんとは高校時代に出会う。気が合った3人は「誰もやらないことをやろう」と将来構想を話し合った。

 1996年、大学生になった3人は、国内初の価格比較サイト『秋葉原仮想電気街』に取り組む。しかし3人はなんと、佐賀、新潟、大阪と、離ればなれの大学に進学していた。予定を合わせては東京に集まり、秋葉原でパソコンなどを扱う店舗に一軒一軒飛び込み営業をかけた。日々の価格をファクスで知らせてもらう契約を取ってそれぞれの地元に戻り、各自、価格を打ち込んでサイトを運営した。

「とにかくお金がなかったので、東京では野宿したりしながら営業していました。大変でしたけど、みんな新しいことに前向きで、ビジネスを立ち上げている高揚感があって楽しかった」

 現在の社名である「オプティム」は、高校時代にすでに考えられていた。最適化=optimizationと楽観主義=optimismを組み合わせ、彼らの夢をのせた造語だ。

「ベンチャー企業の大きな役割のひとつは、世の中を最適化していくこと。また、大きな事でも「楽観的」に考え行動したいですし、勝負をしなければ世の中を変えるような仕事はできません。ですが、その一方で資金や人材には余裕がないので都度、最適な選択をしなければならないのです」

 そしてオプティミズムはベンチャー企業にとっても何よりも大切なプラス思考のスピリッツだと話す。
「もちろん、経営が緩くなってはいけませんが、大きなビジョンを実現させるために行動し続けるということはベンチャー企業にとって、ベンチャー企業である理由のすべてだと思います。こんな小さな会社に何ができるんだと思われるかもしれませんが、我々は真剣です。国内はもちろん世界でも、社会にとって大きな良い仕事ができるはずだと確信しています」

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

           高校時代から夢を語り合ってきた三人。菅谷さんの向かって左が徳田整治さん、右が野々村耕一郎さん。
           菅谷さんが佐賀でオプティムを創業すると、その二ヵ月後には二人は会社をやめて佐賀にやってきた。

感謝があるから、経営の軸に佐賀がある

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

 オプティムが法人化したのは2000年。大前研一さんがプロデュースしたビジネスプランコンテスト「第1回ビジネスジャパンオープン」に応募し、ファイルのダウンロードの待ち時間に動画でCMを流すプロジェクトで孫正義賞(特別賞)を受賞したのがきっかけだった。受賞後、ソフトバンクから交渉を持ちかけられた。「そのアイデアを買い取りたい。駄目なら、その数倍のストックオプションを出すからソフトバンクグループ内でプロジェクトを行わないか」というものだった。しかし23歳の菅谷さんは、断ってしまう。
 理由は「自分たちでやりたいから」

 この受賞で勢いをつけ、菅谷さんは法人化に動き出した。その法人化における恩人と言えるのが、佐賀県内でFA産業関連機器の販売などを手掛ける橋口電機株式会社の社長(当時)、橋口弘之さん。

「当時、佐賀大学の学生だった私は橋口電機の関連会社でアルバイトをしていたのですが、社員のみなさんから橋口社長の人となりについて伺っていて、起業するときにはぜひ相談したいと思っていたのです。当時の上司が社長の娘さんと同級生という縁をたぐり、お会いすることができました」

 橋口さんは菅谷さんの話に親身になって耳を傾け、「あなたが言うなら力を貸そう」と言葉をかけてくれ、法人化のための出資にも快く同意してくれた。オプティムは橋口電機本社の二階を間借りしてスタート。しかし、橋口さんはその半年後、オプティムの創業後3ヶ月でこの世を去る。

「ご本人は自分に残された時間をご存知だったと思います。もしかすると亡き後も、会社をサポートしてほしいという想いを託されたのかなと思います。そして常々佐賀から世界的な企業を出したいとおっしゃっていたので、その夢の一端を託してくださったのかもしれないです」

 また創業当時は佐賀銀行の会長(当時)の田中稔さんにもお世話になったという。
「学生だった私にとって田中さんも雲の上の存在でしたが、一度お会いしたところ、とても可愛がってくださいました。月に一度は報告に来なさいと声をかけてくださり、いろいろなお話をし、東京の取引先もご紹介いただきました。出身地でもある佐賀を盛り上げたいという郷土愛の強い方で、やはり佐賀から世界的な企業を出したいと望まれていました」

 菅谷さんは、佐賀大学の卒業生ではあるが、神戸生まれの神戸育ちであって大学に入学するまで、佐賀には縁もゆかりもなかった。それでも、今も佐賀県に本店を置き続けているのは、感謝の念があるからだ。

「佐賀でお世話になった方々の名前をあげたらきりがありません。もちろん、オプティムを評価してもらったという自負はありますが、私の恩人の方々が佐賀を大切にしているのであれば、わたしも当然その方々の気持ちに報いるために佐賀を大切にしたいのです」

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

佐賀から届いた黒大豆の甘納豆。サンプルをオフィスに置いて、
来社されたお客様にも紹介している。

上場をバネに夢の実現へ

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

 オプティムは2014年10月にマザーズ市場に上場し、翌年の2015年には東証一部に上場市場を変更した。なぜ上場したのかの問いに、菅谷さんはこう答えた。

 「我々はいつか、googleやappleのような影響力を持つ会社になりたいと本気で考えています。たとえば、農業や建設、医療の分野で。そのためには自分たちの力だけではなく、より多くの株主や投資家、また社会を味方につけたほうが達成しやすいだろうと思うのです。知名度や社会的信用力を活用させていただけるのであるなら、上場するのであれば最短で東証一部へという気持ちがありました」

 マザーズ市場に上場したときは「頑張っているね」と言われたが、東証一部に上場してみると「すごいね」と言われるようになった。マザーズと一部の違いは思っていた以上に大きいと語る。

「上がってわかる東証一部と言いますか(笑)、社会的信用力がぜんぜん違います。相手方企業からみたときの安心感が格段に違うんでしょうね。IoTやAIを進める中で、我々は他産業の方たちと組まなければいけないので、ずいぶん仕事がしやすくなりました。たとえば農業分野なら、農家の方々や自治体の方々にも信頼され、関わってもらわなければならない。また、医療分野ではデータの取扱に関して非常にデリケートな業界ですから、信用できる会社だと思ってもらうことはとても重要なことです」

 オプティムはすでに農業の分野では佐賀県、佐賀大学農学部などと、建設の分野ではコマツと、医療の分野では佐賀大学医学部や医療情報のプラットフォーム分野の企業であるMRT株式会社などと連携した取り組みを行っている。

世界を一変させるイノベーションのヒント

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

 さて、オプティムがこれから目指すところはどのようなことだろうか。

「オプティムが確信していることは2つ。ひとつは、IoT、AI、Robotを使ったいわゆる第四次産業革命がすべての産業を、企業を一変させるということ。もうひとつは、全ての会社がソフトウエアの会社になるということです。先日、世界経済フォーラムでアメリカの最大手の銀行のCEOが、自分たちのことを銀行免許業をもっているソフトウエア会社だと表現しているのが印象的でした。今やデータサイエンティストやエンジニアをgoogleよりも多く採用している、しかも役員の半数以上はIT出身だというんです。

 たしかに今世界を変えているのはソフトウエア会社です。たとえば、appleは携帯を作って世界を一変させたし、ITをルーツに持つテスラは電気自動車で自動車産業を一変させようとしている。我々もソフトウエア会社でありながら玉ネギを作る、ビルを建てる、医療サービスを提供する。そしていつかそれらの分野でgoogleやappleを超える会社になると妄想し続けているわけです」

 世界を一変させるイノベーションのヒントは、他産業とタッグを組むことで生まれていく。
 他産業に携わる人たちにとっては常識であるのに、オプティムが知らないことはたくさんあり、その逆も然りだ。それを見つけることがイノベーションを起こすことにつながる。

「たとえば農業。私たちは単純に、減農薬のほうが単価が上がると思うけれど、農家の方々は害虫が出るから簡単には叶えられないという。そこで害虫は畑全部に出るのかと聞くと、そうではないが広い畑のどこにいるかなんてわからないのだと。それならドローンを飛ばしてどこにいるか見つけ、ピンポイントで農薬を使いましょうと」
議論の中から、ビジネスの最適化を模索し、提案していく。

 このプロジェクトはすでに佐賀県、佐賀大学農学部、地元農家と連携してスタートしている。
 さらに佐賀大学の医学部と連携し、眼底写真を撮ってAIが解析し病気を診断するという技術開発にも取り組んでいる。眼底は人間の臓器の中で唯一血管がむき出しだが、その血管の様子を写真に撮って病気の予兆判断をするという。

「過去にこれまでのAIで挑戦したができなかったと聞いていたのですが、最新のAIなら可能じゃないかと始めてみました。おそらく高精度のものができると思います。眼底は手軽に検査ができるので、予防医療の観点からすると非常に有益です。将来的にはスマホで自分の目の写真を撮ればスマホで健康状態、病気や具体的疾患がわかるようになるかもしれませんよ」

オプティム流、飲み会のお約束

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

 オプティムには社長室がない。菅谷さんは全スタッフと同じ場所で仕事をしている。オープンかつフラットということを重要視しているのだ。社内には飲み物やお菓子などを置くコミュニティスペースや、飲み会用の部屋も用意されている。飲み会の席では、菅谷さん自身肝に銘じ、幹部の人たちにも言っていることがあるそうだ。

「飲み会では、必ず、指揮系統で上にいる人間は腹が立つ思いをしなければいけないよ、ということです。一人ひとり違う人間なので、必ず意見の食い違いがあるはずです。それなのに腹が立つことがないのは、本当のことを言ってくれていないから。耳障りのいいことしか言ってくれないようでは、深いディスカッションはできません」

 さすが社長、と思って聞いていると、インタビューに同席した役員が「それでよく菅谷社長は怒ってますけどね」と苦笑した。社員に腹が立つことを言われてムッとする、そんな菅谷さんの姿があるということは、オプティムは順調ということだ。

 最後に若い起業家へのメッセージをいただいた。
「変化という波が来るとき、その波に乗ろうとする人と、波を無視しようとする人の2つのタイプに分かれます。前者にとっては、たとえどんなに下手な波乗りであっても、変化はチャンスです。なぜなら、ほとんどの人が変化を傍観・無視しようとするから」

 そして言葉は自分自身に言い聞かせるように続いた。
「第四次産業革命という大きな変化の波は2025年から始まると言われていますが、すでに前哨戦は始まっています。この変化の時代に、経営の課題としてどこに集中するか、これが社内でもいちばんの議論です。間違いなく、appleやテスラのような会社が、農業からも建設からも医療からも出てきます。オプティムはそうなりたいと強く望んでいます」

 2000年の会社設立時から、いや高校生の頃から、世界で唯一となる製品やサービスを生み出すことをスローガンとしてきた。菅谷さんのすごいところは、大きな声で夢を語ることと、まわりを気遣い感謝する謙虚さが同居していることだ。だから大風呂敷を広げても、みんなが笑顔で応援するのだろう。きっと今日も「世界を変えよう」と、社員に語りかけているに違いない。

菅谷 俊二(株式会社オプティム)インタビュー写真

(文=佐藤紀子/写真=石渡史暁)2017/03/06

プロフィール

菅谷 俊二
株式会社オプティム 代表取締役社長(佐賀大学招聘教授)
1976 年
兵庫県生まれ
2000 年
佐賀大学在学中、「第1回ビジネスジャパンオープン」にて「孫正義賞(特別賞)」を受賞
同年、株式会社オプティム創業
2014 年
東証マザーズ上場
「第40回経済界大賞」にてベンチャー経営者賞を受賞
2015 年
東証一部へ市場変更
※2015年新興市場企業情報通信業界分野で特許資産規模、国内企業ランキング第1位。
個人としても1993年−2015年の情報通信分野における日本人特許資産規模ランキングで第1位を獲得。

会社概要

株式会社オプティム
株式会社オプティム
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  • 上場日:2014/10/22