ものづくり新時代への事業承継。匠の技術を最大限発揮し、ニッチな新しい市場を自らが創り出す。

株式会社中村超硬
  • コード:6166
  • 業種:機械
  • 上場日:2015/06/24

ものづくりの現場に立つ

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

「ものづくり・日本」の危機が言われて、久しい。刻々と過ぎる時間の中で、危機は常態となった感さえある。しかし、新しいものづくりの芽が育っていないわけではない。たとえば、新規上場を果たした製造業の企業の多くは、イノベーティブな技術や可能性に満ちた製品を有している。

 物づくりの街、大阪府堺市に本社を置く中村超硬も、まさに新しいものづくりを担う一社である。現在の主力製品の一つは「ダイヤモンドワイヤ」。細いピアノ線にダイヤモンドの砥粒(極小の粒)を固定した糸状の切断工具だ。同社は、太陽電池の主要要素であるシリコンウエハの切断に活用することを推進し、この市場で世界2位のシェアを獲得、さらなる販路拡大にチャレンジするニッチグローバル企業である。

 1954年(昭和29年)に、ミシンの小ネジをつくる会社として創業した小さな鉄工所のチャレンジの歴史は、多くの日本の中小企業と重なる。まずは、そのあたりから社長の井上誠さんに伺った。

 井上さんは大阪府出身で、縫製の町工場を営む家に生まれた。大学の工学部を卒業した後、ソニーで技術者として勤務していた。その井上さんが30歳を目前にしてソニーを退社し、中村超硬に入社したのは、ちょっとした騒動が中村超硬に起きたからだ。

 「私が生まれたのは、1954年で中村超硬の創業の年で、この会社に入社したのが83年。この約30年間に鉄工所は数段のステップを登っていました。

 創業者の中村繁は、妻の父、私にとっては義父にあたります。すぐれた旋盤職人でしたが、それに飽き足りず、超硬合金の加工を手掛けるようになっていました。堺にはベアリング製造の中小企業が集積しています。そういった会社に、ベアリング製造機械の耐摩耗部品として超硬合金を提案し、『製品の品質がいい』との評価を獲得していました」

 当時、中村超硬の評判に目を付けた他社が同社乗っ取りを画策し、4人の社員のうち、2人を引き抜くという強引な手段に訴えてきた。奥様から実家の苦境を相談された井上さんは、ソニーという巨大組織に身を置くサラリーマンを辞め、ものづくりの現場に飛び込むことを決意する。

 「『自分はメカニカルエンジニアだ』という自負があり、ものづくりに何か貢献ができるつもりでいましたが、結局はほとんど役に立ちませんでした。だから、一作業員としてスタートしました。現場から離れていた義父も復帰して、4人で朝早くから夜遅くまで作業をする日々が続きました」

 会社は何とか存続の危機を脱することができたにもかかわらず、1987年に創業者の義父が急逝してしまう。社員は5名ほどになっていた小さな会社を率いることになった井上さんは、まずは「今までやってきたことを愚直に」という方針をとり、会社の維持を図った。

大ヒットの後の大ピンチ

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

 会社を率いて3年ほどが経過し、井上さんにも、会社にも多少余裕が生まれる。そこで、「維持」から「発展」にギアを一段上げることにした。

 「義父は『鉄から超硬合金』という硬い方向へ自分たちの製品の素材を高度化しました。それでは、我々はどうするかと考え始めた頃、ダイヤモンドが機械部品に使われ始めたという情報が入ってきました。そこで、『ダイヤモンドを加工してお客様に提案しよう』と社員と話し合い、技術開発に取り組むことになりました。
 
 ダイヤモンドのコストは、工業用といえども超硬合金に比べて高く、製品価格は3~5倍になりますが、一方で、寿命が20~30倍になるといったメリットを、お客様に提案しました。事業を引き継いでから5年ほどでダイヤモンドを使用した製品の比率が高まっていき、年商は1億円から3億円くらいに拡大しました」
 
 さらに、1995年頃、さらなる幸運が舞い込んできた。あるダイヤモンド工具メーカーの営業マンが、「お客様がこういうダイヤモンドノズルをつくれないかと言っているが、自社の工場や技術に相談しても、なかなか取り組んでくれない。お宅でやってみませんか」と相談を持ちかけてくれたのである。
 
 パソコンが普及し、携帯電話がどんどん小型化していく中で、「コンパクトなプリント基板に、電子部品を高密度かつ超高速にピック&プレースする」という物づくりニーズが家電業界に生まれていた。日本の産業機械メーカーは、これを行うチップマウンターという機械を一斉に製造・販売し始めることになる。

 「チップマウンターにはノズルがあり、それを使って電子部品を真空で吸着して配置します。ところが、硬い電子部品を吸着するので先端が摩耗してしまう。そこで、ノズルの先端にダイヤモンドを使えないだろうかというわけです。われわれには、そのときダイヤモンド加工の技術がありましたから、『よし!やってみよう』ということで開発に取り組みました」

 そして、ダイヤモンドノズルが誕生した。時代のニーズに合致したダイヤモンドノズルは急速に普及し、1990年代半ばから2000年代半ばまで中村超硬の主力事業となり、売り上げは数年で3億円から30億円へと急伸することになった。
 
 ニッチな市場で、なおかつダイヤモンド加工という特殊な技術であったため、他社と競合すること無く世界シェア№1になった。ところが、そこには落とし穴もあった。2000年頃から家電業界に閉塞感が漂い始め、その後にはITバブル崩壊となる。ダイヤモンドノズルという単一商品に大きく依存していた弊害が露呈する。家電業界を中心としたダイヤモンドノズルの需要が冷え、再び、会社存続の危機が訪れることになる。

 「結果的に、130名ほどいた社員から約30名を希望退職という形で失うことになりました。この経験は、後々も自分の中でトラウマとして残っており、『もう二度と雇用整理はしない』という経営観となっています」

 井上さんは、ニッチな市場の需要に身を任せるのみでなく、自主的に製品開発を行うことの重要性と個々の主力製品ごとに固有性を明確にするビジネスモデルを形成する必要性を痛感した。
 ダイヤモンドノズルは自らが中心となるビジネスモデルを持っていなかったために、最後は安価な模倣品などに取って代わられ、ダメージを受けていったからだ。

新しい事業を起こす

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

教訓を得た井上さんは、新しい事業、新しい商材・製品の企画を積極的に推進した。こだわった要件は「成長する産業分野」と「ビジネスモデル」である。
 
その中で有力となったテーマが、細いピアノ線にダイヤモンドの砥粒を固定した「ダイヤモンドワイヤ」だった。ニーズの受け皿は、太陽電池製造である。太陽電池の主要パーツであるシリコンウエハをシリコンインゴットから切り出す「糸ノコ」としてダイヤモンドワイヤを使うのである。
 
将来に向けて自然エネルギーの利用が高まる中で、太陽電池の需要には伸び代がある。ただし、その開発・生産は過渡期にあり、有効な技術が必ずしも開発・生産の現場に取り入れられてはいなかった。太陽電池の開発・生産に残っていた未熟な部分。それが、中村超硬にとってのチャンスとなった。

「ダイヤモンドワイヤは、すでに存在していましたが、まだ太陽電池のシリコンウエハをつくるためには使われていませんでした。ダイヤモンドワイヤを使用するには、その時点では、ユーザーを獲得していくには、ダイヤモンドワイヤの価格が少々、高すぎました。」

 課題は、『ダイヤモンドワイヤを受け入れ可能なレベルまで安くする』ことだった。社内でこの課題を検討するうちに、ひとつの解決策が浮かび、具体化した。

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

「われわれが開発したのは、ダイヤモンドワイヤを安くつくるための高速生産システムです。その時点では、ピアノ線にダイヤモンドの粉を固定するために時間がかかり、そこに設備や人のコストが大きく費やされていました。たとえば、50km巻というボビン(糸巻)をつくるのに、以前であれば2週間かかっていましたが、それをわれわれは1日でつくれるシステムを構築しました。そして、圧倒的なコストダウンに成功したのです。」

 井上さんが主導した中村超硬の戦略は、安くダイヤモンドワイヤを供給するということだけではなかった。この製品に関する優位性を確立するために、他社にまねができない顧客との関係構築をビジネスモデルに組み込んだ。中村超硬が「加工」という仕事で培ってきた「工具を使いこなす技術」を、顧客に伝授しながらお客様を育てていくという販売手法を採ったのだ。
 
 世界の太陽電池の約80%は中国で製造されているが、そこでの加工技術はまだ発展途上であった。従来の方法ではシリコンの無駄も多く、環境負荷も高いため、技術サポートをともなった新しい製造方法の提案は非常に魅力的であり、ダイヤモンドワイヤを使用した生産システム設備への入れ替えを促進させることに繋がった。

加工業からの脱皮

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

ダイヤモンドワイヤの成功は、中村超硬という会社を「加工業」という枠から脱皮させた。

「加工という仕事は、お客様から図面を受け取って、その通りのものをつくって、販売するという業態です。しかし、ダイヤモンドワイヤでは、加工そのものを売り物にするのではなく、加工の匠を組み込んだ生産システムが生み出す成果物を販売する業態になりました。加工の匠を活用し、付加価値のつまった独自の“もの”を販売する・・・いま、われわれはそういう方向に動き出しています」

 そのひとつが、「マイクロリアクターシステム」とその関連製品の開発・販売である。
化学製品や医薬品の研究・開発・製造においては、溶液を流しながら連続的に化学合成を行う「フローケミストリー」(Flow Chemistry)という考え方が注目されている。それを実際に、一辺あたり1mm以下という微細な空間でフロー型の化学反応を行う装置がマイクロリアクターだ。

 中村超硬は、マイクロリアクターによる先進的合成化学技術の研究を行っている大阪府立大学とコラボレーションし、自社製ダイヤモンド工具による微細流路形成技術によって、より効率的なシステムを確立した。
現在、この装置・システムを基に、新たなビジネスモデルを検討中である。

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

また、2016年2月1日には、「東京大学との共同開発で獲得した革新的プロセスにより製造されたゼオライト・ナノ粉末のサンプル提供を開始」との発表も行った。
 
ゼオライトは、分子レベルの細孔を無数に持った物質で、その細孔内にさまざまな物質を吸着する性質がある。その活用分野は、石油精製や排ガス触媒のような化学分野、放射性物質吸着などの環境分野、各種脱水剤や抗菌剤のような生活分野におよんでいる。

 今回のサンプルは、一般的に流通しているゼオライト粒子を、ナノサイズ化するもので、飛躍的な基本性能の向上によって、新たな用途への展開が期待されている。
 
「加工の匠を築いて行く上で、社内だけでは脆弱さが残る研究開発部門を補う意味で、積極的に産学連携を進めることで、実現しようと努力しています。」

チャンスは増えている

2015年6月24日、中村超硬は東京証券取引所マザーズに上場した。井上さんにとって、上場は一つの節目であった。
個人的には、「創業者の遺志を継いでやってきた自分の生きた証」を明らかにするものとして、ある種の感慨があった。
しかし、そうした情緒的な感情以上に、経営者として、会社をさらに伸ばそうとしているという実感と将来への期待感の膨らみの方が大きかった。

「会社が成長していく中で、業容・事業を拡大するには『フェアな仕組みができている会社である』ことが大切だと思うようになりました。
 
また、われわれの会社は、他社を辞めた有能な人が多く入社してきて、今の姿になっています。そんな組織として、皆を引きつける“磁力のある目標”が必要だとも思いました。その意味で、まず上場を達成し、次に『ここを起点として成長しよう』という意識をもてたことが嬉しかったですね」
 
加えて、会社が業態を転換していく上で、上場メリットを最大限に活用したいという経営的な狙いもあった。
「われわれがチャレンジしている分野は、ものすごく流れが速いのです。ニーズが顕在化してから、設備投資をして販売開始するまで期間が短く、企業には自分で考える経営のスピードが求められます。そうした要求に、資金面でも対応していくには間接金融だけでは難しく、エクイティファイナンスを取り入れることが必要だと考えるようになりました」
 
業態転換と株式上場、それは中村超硬のものづくりの力を強化し、さらなる高みに向かう原動力を生み出している。
「現在は、右肩上がりの社会とは言えませんが、、我々のような小さな会社が成長するためのチャンスは、逆に以前よりも増えているのではないかと思います。

新しいニーズが生まれており、そこに事業化のチャンスがあるのです。自分自身に対しても常に言い聞かせていることですが、『チャンスがあるならば何としてもチャレンジをする』・・・この気持ちが大切だと思います」
 井上さんは自社のことを「現場的研究開発型企業」だと言う。研究所のように化学や技術のシーズから出発するのではなく、社会や暮らしのニーズから研究・開発を行う企業であるという自覚がそこにある。現場にニーズが高まれば高まるほど、ものづくりは活性化する。そのことを、井上さんと中村超硬はまさに体現しているのである。
 
創業者から会社を引き継ぎ、様々な経験を積んできた井上社長は、次の時代に向け、人も会社もが更なる成長目指せる経営を見据えていると感じた。

井上誠(株式会社中村超硬)インタビュー写真

(文=志澤秀一 写真=笹倉祥通)2016/03/14

プロフィール

井上 誠
株式会社中村超硬 代表取締役社長
1954 年
生まれ
1978 年
ソニー入社
1983 年
当社入社
1995 年
当社代表取締役社長(現任)に就任

会社概要

株式会社中村超硬
  • コード:6166
  • 業種:機械
  • 上場日:2015/06/24