“ホテルは平和産業”感銘を受け、ホテル業で生きる決意
ホテルと聞いて連想する言葉は“旅”だと思う。その目的は出張、観光など様々でも、ホテルが旅に欠かせない重要な要素であることは変わらない。あるいは結婚式や宴会、ビジネス会議、イベント、レストランやバーでのひと時など、晴れやかな非日常の場として機能する。
それは裏を返せば“不要不急”であることがコロナ禍によって顕在化し、当時はホテルから人が遠のいた。一方でそこで生活できるというベーシックな機能が意味を持ち、感染症の隔離施設、あるいは震災や豪雨の被災者の2次避難所となり、活用された。2次避難所としては今も利用が続いている地域もある(2024年11月時点)。
全国で「ワシントンホテルプラザ」と「R&Bホテル」というブランドのビジネスホテルを展開するワシントンホテル株式会社も、新型コロナウイルス感染症軽症患者用の宿泊療養施設として提供していたうちの1社だ。
現在はインバウンド需要に沸き、国内旅行も活気を取り戻し、ホテル業界を取り巻く状況は一変している。ワシントンホテルも同様で、現在は観光需要を取り込むべくリニューアルを多く手がけるなど、積極経営に向かっている。
長谷川太さんは、2024年6月に新社長に就任した。近年ではキャリア採用や他社からの招聘される社長も増えているが、長谷川さんは長崎県の大学卒業後すぐにワシントンホテルに就職している。
「大学時代はいろいろなバイトをしていました。特にメディア関係に興味を持ち、ミニFM局でのディスクジョッキーや地元ラジオ局では番組も担当しました。家庭教師やウェイターなど一般的な大学生がやる仕事もして、ホテルではベルボーイとして3年以上勤めていたと思います。その影響で4年間での卒業はかないませんでしたが——」
「入社時の社長の『ホテルは平和産業である』という言葉に感銘を受けました。生まれ育った長崎には、原爆を落とされたことに対して様々な思いを持つ人がいましたから、世界平和のために、世界の人々のために働けることがとても腑に落ちたのです。ホテルで働くことを通じて世界中の人々を笑顔にしよう。よし、ホテル業で生きていこう、と」
レベニューマネジメントと大規模リニューアルの両輪が変革の柱
入社は1987年。30年を越える時を経ての社長就任だが、入社当時はどう考えていたのだろうか。
「入社後、勤務地の総支配人に冗談で自分は社長になると言いましてね。さらにそれが当時の営業統括本部長の耳に入り、『じゃあ、私を抜かないといけないな』と。そんな逸話はありますが、実際は社長になるイメージできていなかったし、なりたいと本気で思っていたわけではありません」
実際には事業開発の仕事が性に合い、合計で30年近く務めたという。
「事業開発は、主に新たなホテルの開発や既存のホテルの美装、改修を実施する部署で、とてもやりがいを感じる業務でした。ずっとその仕事を続けたかったのですが——」
そんな思いと実績の延長線上、ワシントンホテルプラザの事業部長(取締役常務執行役員兼任)に就任した2020年6月は、奇しくもコロナ禍に直面していた時期と重なる。前年には上場していたが、そちらも出鼻をくじかれた形となった。
世界中の同業他社、飲食、イベント業など様々な業種の企業が一斉に直面した危機とはいえ、当初のホテル稼働率は惨憺たるもの。しかし宿泊療養施設として14棟までの一棟貸しができたことで、コロナ禍のピークの間は乗り切ることができた。
「宿泊療養施設の提供終了後からの約1年が最も厳しかったですね。需要が完全に戻ってきたのは、今年(2024年)からですが、当社の主力はビジネスホテルです。出張のお客様は完全に戻っていません。今は私たち自身ですら支配人会議はオンラインでやっています。商談こそリアルに会う大切さが今でも言われていますが、打ち合わせはオンラインが主流になりました。もはやビジネスホテルも出張のお客様だけでは立ち行きません。インバウンドも国内のレジャー客も集客していく必要があります」
変革は、コロナ禍の苦しい時期にも協議してきたという。
「既存のホテルのコンセプトも含めた大規模リニューアルなどは過去あまりやってきませんでした。外部の専門家の力も借りながら、社内に精鋭チームを作り改革を始めたことがようやく実ってきたと思います。コロナ禍以前は近隣ホテルの価格を意識しながら宿泊単価設定を行う傾向がありました。それではどんどん安売り合戦になります。そうではなく、商品力の向上を図りながら、当ホテルに見合う適正価格を意識していこうと。実際にコロナ禍以降は原価も上がっています。価格は感覚的に決めるのではなく、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)ツールを使い、ホテルの稼働率をメインデータとして自動的に提供価格を変えていけるようにしました」
レベニューマネジメントを根づかせたことで利益率を高め、一方で顧客ニーズをとらえた大規模リニューアルを仕掛ける。お客様の声を重要視し、大浴場の導入、暖房便座や質の良いシャワーヘッドへの交換、展示会で海外の方から評価が高かったデュベタイプ*の布団の全館での採用など、これらが稼働率の向上に貢献している。
*・・・羽毛布団をシーツで包んだベッドメイキングの方法
大規模リニューアルが集客と稼働率向上に貢献(刷新した寝具と大浴場)
人手不足の課題を多様な人材、多様な働き方推進で解決へ
ワシントンホテルはかつてビジネスホテル御三家として高い知名度を誇り、今の60代以上のビジネスマンにはなじみの深いブランドだ。とはいえ、ビジネスホテルの競合ブランドが増え、さらには出張が減る今となっては、シングルルーム主体の構造では限界がきている。同社の場合、R&Bホテルは一部を除き、すべてシングルルームとなっている。
「大規模リニューアルを実施したR&Bホテルは20~30室程度のツインルームを新設しており、その甲斐あってインバウンド比率が急激に上がっています。それ以外のR&Bホテルの場合は、部屋と部屋の間の壁に扉を増設するコネクティングルームを新設しており、レジャー利用の宿泊客獲得に貢献しています」
変革とコロナ禍後の回復は、順調な歩みを進めているが、立ちはだかる壁がある。これは同社だけでなく、あらゆる業種で共通する課題だが、コロナ禍の影響を強く受けたサービス業に顕著なのが人材不足だ。
「当社でもコロナ禍の最中は、契約期間満了のアルバイトの方を中心に多くの従業員が退職し、残った方についても満足な待遇はできずにいました。ホテル事業全体の先行きも見通せず、人と接する機会の多い接客業を避けたいという従業員もおり、正規雇用であっても自ら辞めた社員もいます。いざコロナ禍が明けても帰ってきてくれません。業務委託を中心としている清掃スタッフ不足も深刻で、清掃ができずお売りできない部屋が生じた時期もありました。」
人件費も上がっている。しかしホテルに人材は不可欠。まずは派遣会社と契約し、一定期間の就労で直接雇用ができる制度を利用した。スポットワークのサービスも活用、そこから定着してくれるスタッフも増えているという。
「外国人スタッフも増えています。彼らは覚悟を持って来日しており積極性があります。3~4カ国語話せる人も多く、接客も素晴らしい。日本人社員とのコミュニケーションは、本社が主体となってレクチャーを続けることで、いわゆるダイバーシティ雇用の下地ができてきたところです。例えば当社は飛騨高山でも営業していますが、外国人旅行客が圧倒的に多く、多言語を使うネパール国籍のスタッフに助けられています」
たゆまない変革と良い伝統の継続で利益率とブランド力向上
多様性が高まるなかで企業風土を維持することは難しくないのだろうか。
「ホテルのありようや形は、時代の変化で変わりますが、基本が接客業であることは変わりません。いかにお客様に良い接客を続け、『ワシントンホテルに泊まって良かったな、もう一度泊まりたい』という思いを抱いていただけるか。そうあるために接客力は重要です。映像を使った接客教育を行い、理解度が深まったか測るテストをしています。その結果を上長が確認しアドバイスをするといったことを始めました。進捗や習熟度はアプリケーションを使って管理しています。これらのツールを活用することで、接客レベルの向上や統一をはかっていきます。最近始めたことですが、今後徹底して浸透させていきたいと考えています」
さらに長谷川さんが社長就任前から取り組んでいたことがある。これまで事業部ごと、同社で言えばホテルブランドごとに異なるホテル運営システムだったものを一本化した。統一することで、世の中のルール変更に応じたシステムの入れ替え時のコストが半減。しかし効果はコストにとどまらない。
「現場社員、スタッフの教育を統一した内容で行えることが大きいと思います。教育はシステムの使い方にとどまらず、営業戦略面でもワシントンホテルプラザとR&Bホテルが同じ動きをできるようになりました。ブランド間の運営体制の壁を限りなく低くしたことで、セールスする際にも両ホテルを同時に提案し営業の効率化がはかれています」
果敢に変革に取り組む反面、伝統的に優れた点は大切にしている。今はほとんどのホテルで環境配慮型の取り組みはなされているが、環境マネジメントシステムに関する国際規格であるISO認証を国内のホテル事業者で最初に取得したのは同社だという。
そこでユニークなのは、取り組みの出発点が気づきと実験だったことだ。
「規模の大きい新大阪のホテルで、お客様の使用済みの歯ブラシを1カ月捨てずにためたことがあって、その総量は約2トンにもなり、客室1つが使用済みの歯ブラシであふれました。これはダメだと、客室内に歯磨きセットやひげそりの常設を取りやめました。自らの歯磨きセット等を持参いただくお願いをするとともに、持参いただいたお客様にはスタンプカードを差し上げ、スタンプ5個で500円のQUOカードを進呈するサービスをいち早く始めました」
この取り組みは今も続き、客室内に使い捨てアメニティの設置はなく、必要なお客様にはフロントで渡す。これは目に見える同社の代表的なCSRの取り組みの一つだ。
ホテル事業の危機乗り越え新規上場
ワシントンホテルの設立は1961年までさかのぼり、ワシントンホテル1号店の開業は1969年。同じ名称の藤田観光直営のワシントンホテルより先行している。奇しくも1号店開業からちょうど50周年にあたる2019年に東京証券取引所市場第二部(現:スタンダード市場)に新規上場を果たした。
長く経営してきたなかで、なぜ2019年だったのだろうか。
「ホテルチェーンとして事業継続、成長を求めるうえでは、新たなホテル開発を続けていく必要があり、そのためには広く資金調達するという選択肢が出てきます。コロナ禍以前にもホテル事業を取り巻く社会環境の様々な変化はあり、ホテルが変わっていく必要がありました。また上場することで、新規開発がしやすくなるだけでなく、求人面での印象も変わり有利になり、会社の発展につながります。もちろん社会的責任も重くなりますが、それも会社の成長には必要なことだという考えでした」
こうした共通認識に基づいて本格的に上場を目指したのは、新規上場の1年前。それまでとどまっていた理由を聞いた。
「ホテル事業に大きな影響を与える危機が何度もありました。大きいのはリーマンショックで、そのときは上場などとても考えられなかった。落ち着いたら東日本大震災があり、そこから瀕死の状態で——政府が観光立国の方針を打ち出したあたりから潮目が変わりました。追い風が吹き出したのはホテル業界全体でしたが、私たちもこれを好機にしたいと考えました。もっともそれ以前にも上場を意識したことはありましたが、そのときは1997年の山一證券破綻の年で実現しませんでした」
いざ上場となると苦労も多かったという。
「皆初めての経験なので、上場後のことも学びながら質問を受けていました。会社の歴史をしっかり振り返らないといけないのも意外と大変で、当社は子会社をたくさん設立した時期があり、それらも記録に残っていないことも含めて詳細に出す必要がありました。1997年に上場を考えたときに作っていた資料が残っていたのは幸いでしたが——」
上場は果たしたものの、約3カ月後には国内でも新型コロナウイルスのニュースが出てくる。まったくの予想外の事態で、本当に上場会社のメリットを生かしたり上場効果を実感したりするのはこれからだろうと期待する。
様々な立地に新しいタイプのホテルを開発
ホテル事業はBtoCビジネス。株主にもホテルのお客様がおられるという意識を持ち、IRでもリニューアルしたホテルの施設見学会を行うなど、財務情報の説明に加えて営業部門に理解を深めてもらっている。
株主やステークホルダーと共有できる今後の展望を聞いた。
「様々な立地で、様々なタイプのホテルの開発を模索しています。立地やお客様が期待する用途によって特色を出していきたいと思います」
これから上場を目指す起業家へのアドバイスは——
「やはり企業を大きく発展させていくためには上場は必須だと思います。将来を見すえたときには上場されたほうがスムーズです。実際上場にあたって苦労はありますが、見返りは非常に大きいのではないでしょうか」
長谷川さんは事業開発の仕事を通じて、全国様々な地域に訪問してきた。リタイア後は、奈良に住みたいと考えている。家族の生まれ故郷にも近く、住んでいたこともあり、歴史的な名所旧跡が点在し自然が多く落ち着いた雰囲気に魅せられたという。
とはいえ、今はまだ社長に就任したばかり。新体制のもと、上場後さらにはコロナ禍後の本格的な始動のかじ取りと、新しいタイプのホテルの開発にも期待したい。
(文=吉田香 写真=吉田三郎 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2024/10/28