上場会社トップインタビュー「創」
- コード:9343
- 業種:サービス業
- 上場日:2023/03/23

本格イラストを実現した「ibisPaint」が4億DL

未経験者には信じがたいかもしれない。しかしいま、あの狭そうなスマートフォンの画面を駆使し、本格的なイラストを仕上げる愛好者が世界中で広がっている。
現在20代半ば以下の「Z世代」にとって、趣味に関する情報源や友人とのコミュニケーションは、何よりまずスマホだ。絶えず手に持つそのスマホで好みのキャラクターを描き、仲間とシェアできるツールがあれば、ちょっと使ってみたい。まして無料なら一度は試してみるだろう。
そんな心理をつかみ200以上の国・地域でユーザーを獲得、2024年5月に累計4億ダウンロードを突破した、基本機能無料のアプリが「ibisPaint(アイビスペイント)」だ。利用中のユーザー規模を示すMAU(月間アクティブユーザー数)は、世界で約4,000万人。日本発のアプリとしては「LINE」などに次ぐ屈指のポジションを占めている。
アプリを試してみると、指で引いたとおりの線が瞬時に現れ、画面をつまめば拡大・縮小も自由自在。ストレスを感じさせない作りになっている。スマホで物足りなくなれば、タブレットとタッチペンに乗り換えて使うことも可能だ。「操作画面の使いやすさと動作速度にこだわってきました」と、ibisPaintの提供元である株式会社アイビスの代表取締役社長・神谷栄治さんは、自ら設計した主力製品に自信をみせる。
13年前のリリース以来ibisPaintの大きな特長となっているのが、一枚絵を仕上げられるだけでなく、操作履歴をもとに完成までの早送り動画(タイムラプス)を自動生成できる機能だ。これをSNSなどにアップすれば制作プロセスを共通の話題にできる趣向で、ユーザーが盛り上げる交流は、そのままアプリの認知度拡大に貢献している。アプリ操作やイラストの技術解説動画をメインにしたibisPaint公式YouTubeチャンネルは、ユーチューバーであれば“超有名人”に相当する登録者数280万人超。名だたるエンタメ企業とも肩を並べる規模に達している。

アプリの世界展開を後押しした「アニメ絵」

ibisPaintの公式サイトでは、ユーザーの公開作品がランキング形式で紹介されている。人気上位で目立つのは、線画をはっきり塗り分けた「アニメ絵」。現代日本のポップカルチャーを象徴するこの技法で、著名作品を題材にしたファンアートはもちろん、オリジナルのキャラクターも国内外から数多く投稿されている。
日本製アプリであることをことさら強調したり、人気漫画・アニメとタイアップしてキャンペーンを打ったりといった“日本推し”のプロモーションは、これまで特に行っていない。むしろアプリや公式サイトを19言語に対応させ、解説動画にも英文字幕を付けるといった “海外に合わせる”改善や、国内ユーザーの声を直接聞く交流会の開催など、地道な取り組みを重ねてきたという。
それでも売上ベースでモバイルセグメントの7割超、ダウンロード数に占めるシェアでは9割を超えるというibisPaintの海外ユーザー獲得に、グローバルな発信力を持つ日本のコンテンツが味方したのは間違いない。コンテンツとペイントアプリの関係を、神谷さんは次のように説明する。
「ibisPaintはアニメ絵に限らず、油彩・水彩・鉛筆画などのテイストも幅広く再現できるのですが、実際にそうした作品を描く方々の多くは、競合製品のコミュニティーで活動しています。日本から日本語を交えて発信しているためか、私たちのコミュニティーには自然とアニメ絵が多く出回るようになり、日本発のアプリだとあえてアピールするまでもなく、それが“ムード”で分かる状態だと思います。ちょうど、コンテンツと一緒に日本文化を盛り上げているような気持ちですね」
8年の種まき期間を経て「おうち時間」でブレーク

会社の急成長を牽引し、広告収入がモバイルセグメントの年商の6割を稼ぎ出す大ヒットアプリに育ったibisPaintだが、2011年のリリースから1、2年は「エンジニア1人分の人件費もまかなえない程度の売上」(神谷さん)が続いていたという。
トップをはじめとする少数精鋭で育てていた自社製品のibisPaintには、リリース後ほどなく競合アプリも出現。「あちらはエンジニア50人で開発中らしい」との情報も舞い込んだが、「こちらは過大なリスクを取らず、出資も受けずに進めると決めていたプロジェクト。ギリギリの体制で、どう知恵を絞って勝つかに情熱をつぎ込みました」と神谷さんは振り返る。
技術トレンドを先取りし、高性能なアプリを効率よく開発できた設計面での成功に加え、大きく赤字を出さない長期戦で臨んだこと、さらに広告頼みでなくても増え続けるユーザーからの熱心な支持を確信できたことから、約8年に及ぶ “種まき”の時期を耐えきれたという。
全世界に向けてまいた種が、ようやく芽生えだしたのは2019年。くしくもその翌年以降、コロナ禍で各国の若者が膨大な「おうち時間」を過ごすようになり、自宅にいながら楽しめる趣味をリモートで共有可能なibisPaintのユーザーは、「2年連続倍増」という爆発的な伸びをみせた。
現在日・米・欧のほか、ブラジル・インドネシア・タイ・フィリピンなどで特に多くのユーザーを獲得しているibisPaintは、Z世代と称される25歳未満の利用が半数近くを占めている(49.3%)。新たな流行をリードし、これから社会の主役になる層を世界からあまねく獲得できた価値は計り知れない。
「アイデアを形にして発表する楽しさ」

起業にあたって社名に「ニッポニア・ニッポン」が学名である鳥のトキの英名(ibis)を選んだ神谷さんは、「世界での Made in Japan のプレゼンスを上げていく」と、会社のビジョンで宣言している。これらはいずれも、「日本からグローバルに感動を与えられるソフトウエアを作り続ける」という決意の現れだ。
ものづくり王国である愛知県の名古屋市に生まれた神谷さんは、幼少期から紙工作やプラモデルに熱中。9歳で初めて触れたパソコンを使って兄とプログラミングを学び、13歳にして雑誌投稿で原稿料を得ていたという。
1992年、技術者育成で名高い名古屋工業大学へ進学するころには、将来ITで起業する意志は固まっていた。在学中はプログラミング言語の習得とゲームなどの開発に励み、普及期を迎えていたインターネット関連の技術記事を月刊誌に連載。さらに、Windows95の登場で身近になったホームページの作成用途をターゲットにしたデータ転送ソフト「小次郎」を1本800円で開発販売し、学生ながら数千万円の売上を手にした。
大学卒業後いったん社会人経験を積もうと、2年で辞めると予告して入ったITベンチャーを“満了”した神谷さんは2000年5月、26歳でアイビスを設立。小次郎の収益を元手に、計画どおり起業家の仲間入りを果たす。だが「軒並み『90点以上』で経営者がビジネスを競う世界に、技術者出身の自分は、ほぼゼロスタートで加わってしまった」ことを痛感するようになった。
成功体験があった完成品の販売とは勝手が違う環境に苦労していた当時の神谷さんに、偶然ネットで起業を知り連絡を寄せたのが、くしくも営業のエキスパートになっていた中学時代の友人だった。現在の常務取締役である彼をアイビスに迎えられたことが、その後の営業面、組織面での支えになったという。
中でもソフトウエア開発の知見を社外に提供する、IT技術者派遣と受託開発の「ソリューション事業」で各業界の大手企業を顧客として獲得できたことは、会社の基盤を確固たるものにした。創業から長く売上の大半、直近でも4割(2023年12月期決算)を占める同事業の安定成長が、先を見通しづらい自社製品の開発を支えてきたといえるだろう。
得意とするものづくりの魅力について、神谷さんは「ハードかソフトかを問わず、学んだことに創意工夫を加え、アイデアを形にできるのが楽しい。できたものを人に発表し、評価してもらえたとき意義を感じます」と語る。強みを最大限生かせる好機をとらえ、ガラケー全盛期の2005年には、パソコン並みの表示ができる高性能Webブラウザ「ibisBrowser(アイビスブラウザ)」をリリース。各携帯キャリアに対応した有料アプリとして、国内のユーザーを多数獲得した。
ibisBrowserのヒットで近づいたかに見えた世界への挑戦はその後、2008年のリーマン・ショック、さらにガラケー市場の衰退に伴って、いったん遠ざかる。だが神谷さんはこの間も世間の流行を絶えずメモし続け、やがて高額な機材と手間を惜しまない“絵師”たちが制作過程を録画編集し、ニコニコ動画(2006年サービス開始)で公開する「描いてみた」の盛り上がりに気付く。
モバイルの新たな主役は、世界共通のスマートフォンやタブレット。ならば、それら全てで使えるペイントアプリを作ってはどうか。誰でも簡単に「描いてみた」ができれば、きっと広まるはず。そんなアイデアを神谷さん自ら形にしたのが、ibisPaintだった。
草創期から念願の上場を達成

スマホとSNSの隆盛を見越していたibisPaintに時代が追いつき、アイビスは2023年3月23日、東証グロース市場に上場した。神谷さんにとって上場は、世界進出の大先輩である創業経営者たちがそろって通った節目。いわば「キラキラした憧れ」だったという。
「会社の状況は絶えず変化してきましたが、上場したいという気持ちは創業3、4年目から一貫して持ち続けてきました。正直なところ『一度自分も体験したかった』のが大きく、実際経験してみると、読んだり聞いたりで想像していたのとさほど変わらなかった。社内体制の整備などがスムーズに進んだのは、早くから準備していた常務のおかげです」
あくまでも通過点だからか、「意志決定はずっと前から合議制」だったためか、上場前後を振り返る神谷さんの話しぶりはあっさりしたものだ。ただ、こう付け加えるのも忘れない。
「実利的な面で言えば、上場は全く正解でした。採用面で有利なのはもちろん、アプリ開発の支援事業では、大手企業のCEOと直接お話ししやすくなりました。社外からの目も増え、売上・利益の達成に向けた良い緊張感が保てています」
「M&Aなどの選択肢が広がったためか、20代の起業家からは最近、上場経験者としての意見をよく聞かれます。かつての私のように『上場が憧れ』という人ばかりではないでしょうが、事業への好影響、そして内部管理体制を確実にできる点でも、『長く会社を続けたければ上場を目標に』と思います」
AI普及のトレンドは「4度目の大チャンス」

自社アプリのグローバル展開、さらに憧れだった株式上場を立て続けに実現した神谷さんは目下の心境を「夢がかなっている。達成しちゃったんですよね」と明かす。
長らく種をまいてきたibisPaintは、アプリ内広告に続き有料版のサブスク収入なども伸び、順調に“刈り取り”の時期を迎えている。「ゼロから1を作るのが得意で、軌道に乗ったら興味が薄れてしまう。実はあまり絵心もない」と自己分析する神谷さんは既に、安定したibisPaint事業を主導するよりも「次にまく種を探す」ことにシフトしている。
書きためているアイデアは尽きないが、本命を見定める決断は重い。「有力なのがいくつかあり、どれにしようか迷っている」という神谷さんに、話題の生成AIについて見解を尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「テクノロジーのブームとしてディープラーニングは相当大きな波で、私が経験してきた中では、インターネット・ガラケー・スマホに続く『第4のチャンス』があると思っています。ガラケー時代はWebブラウザ、続くスマホ時代はペイントソフトだったように、生成AIでも従来と全く異なる製品をリリースするかもしれません」
「ibisPaintの場合は、多くのユーザーが趣味の絵の上達を楽しみ、創造性を発揮した作品をシェアしていることとの相性が大切だと考えています。実際の例で言うと、わずかな描線をもとにお手本となる絵を生成する機能は取り下げましたが、これと大本で同じ技術を応用しながらも、AIの学習を妨げるノイズを絵に加える機能や、元画像の解像度を上げる機能は受け入れられています。業務目的のイラストであれば、背景を自動生成する機能なども役立つかもしれませんが、仮に私たちがそれを手がけるとすればibisPaintとはターゲット層が変わるため、別の製品になるでしょう」
終始落ち着いたハスキーボイスで事業を展望する神谷さんの、最近の趣味はカラオケだという。どんな渋い持ち歌かと思えば、さにあらず。歌うのはもっぱら、高音でアップテンポな「ボカロ曲」や「TikTokの流行曲」で、しかも「ちょっとクレイジーですが、毎日2時間。防音のために自宅の風呂場で、服を着たまま歌っています」とのことだ。
「もともと好奇心の範囲は広いほう。老害にならないよう、若い人の感性に触れている」という説明は、きっとその通りだろう。とはいえ新たな趣味を見つけては「ひょっとしたらビジネスに」と機会を探ってきた神谷さんのこと。熱中のなかで研ぎすました会心のアイデアを世に問うのは、そう遠くない未来かもしれない。
(文=相馬大輔 写真=高橋慎一 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2024/08/05
プロフィール

- 1973 年
- 愛知県生まれ
- 1998 年
- 名古屋工業大学工学部電気情報工学科卒業、同年ベンチャー企業に就職
- 2000 年
- 有限会社アイビス設立
- 2001 年
- 株式会社へ組織変更 代表取締役社長に就任
- 2023 年
- 東証グロース市場に上場
会社概要

- コード:9343
- 業種:サービス業
- 上場日:2023/03/23