TSE教育ホットライン
Vol.384 2024年<先生のための冬休み経済セミナー>開催のお知らせ
今年も、昨年に続き、東証にて中学校・高等学校の教員や教育関係者の方を対象とした経済セミナーを開催します。
今回の「先生のための冬休み経済セミナー」は、日本経済新聞編集委員による講演、そして実践的な授業に役立つ専門家のお話、大学教授によるAIと働き方について、と、ホットな話題を聞けるチャンスです。
東京証券取引所の臨場感を味わっていただける「対面限定」にて提供します。
※先着順での受付となりますので、ご興味ある方はお早めに!ご担当教科に関わらず奮ってご参加ください。
1.開催日程
2024年12月26日(木)10:00~15:35
2.方法等
方法:対面限定
人数:先着100名様(予定)
会場:東京証券取引所ビル 1階 プレゼンテーションステージ
詳細は下記をご参照下さい。
【東証マネ部!】今月の注目記事!!
今年に入って急上昇した日本株。その要因の一つとも言われているのが、2023年3月に東証がプライム市場及びスタンダード市場の全上場企業に対して発出した「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」のお願いです。
メディアなどでは『東証によるPBR改善要請』や『東証要請』といった表現で取り上げられることも多かった今回の取組みについて、今一度、その内容を解説します。
青山学院大学経営学部で経済や金融に関する講義を受け持っている亀坂安紀子教授。
青山学院大学で2015年から2019年まで、金融リテラシーを学べる
金融広報中央委員会(日本銀行や民間団体等が金融に関する幅広い広報活動を行う組織)の
寄附講座も導入されたご経験があるようですが、昨今より一層高まる「金融経済教育」について
亀坂教授はどのように考えていらっしゃるのか、現在の日本の金融経済教育のあり方、進め方について伺いました。
◆◇最近の株式市場の動向◇◆
10月となり、気温は平年よりも少し高めのようですが、季節は、着実に秋になってきているように思います。
朝晩の寒暖差も大きくなってきましたので、体調管理にはお気を付けください。
では、今回は今年9月以降の東京株式市場の動向について、簡単に市況を振り返ってみます。
2024年9月の株式市場は、月の初めは、米社エヌビディア株の急落を受けて米ナスダック総合指数が下落したこと、
米雇用統計が予想に反して低調だと受け止められたことなどを嫌気して、大幅安となりました。
中旬では、米国のパウエルFRB議長の発言内容から、米国での金利引下げのペースが緩やかになるとの見方が大勢となり、
円安基調が強まったことから、幅広く買われて、徐々に株価が回復する展開となりました。
月末にかけては、9月末の配当取りを背景として買われたことや、自民党総裁選にて、アベノミクスの継承を主張する高市氏が優勢との見方から堅調に推移しましたが、
投資家や企業への課税強化に対して前向きな立場の石破氏が勝利したことを受け、輸出関連株を中心に売られるものが多く、下げに転じて終わりました。
10月になると、東京株式市場は、好調な経済指標を反映して米国株式市場が上昇していることや、外国為替相場での円安傾向を受けて、概ね堅調に推移しています。
先月9月1か月間について、TOPIXで見た上昇率は+2.46%、
上昇した主な業種は、繊維、空運、倉庫株で、下落した主な業種は、医薬品、鉱業、証券株でした。
また、昨年末との比較では、9月末のTOPIXで見た上昇率は+11.81%、
上昇した主な業種は、保険、石油石炭、非鉄金属株で、下落した業種は、陸運、ゴム製品、空運株でした。
学校の授業等で参考にしていただけたら幸いです。
連載第二十五回「歴史の中の市場と証券~証券市場について歴史を遡って見つめる~」
今回は、横浜開港当時の横浜における洋銀取引についてお話します。
洋銀取引つまり今でいう外国為替取引が一連の本稿の目的とする日本における証券取引市場の歴史と深く関連しているからです。
横浜開港当時、日本人にとって国際貿易とは横浜等に居留する外国商館との取引を意味しました。
当初、輸出では圧倒的に生糸が多く、輸入も同規模かそれ以上に急速に拡大していきます。
生糸を国内生産農家から買い入れて横浜の外国商館に売る商人(輸出商)を生糸売込商というのですが、
彼らは生糸の販売代金は洋銀と呼ばれるメキシコ銀貨で受け取っていました。
ごく一部のケースを除き洋銀は日本国内で流通していないため、生糸の買い入れの為に洋銀を日本銀に変えるニーズが売込み商にはあります。
一方で輸入商(引取商)は逆に外国商館に支払う洋銀を常に調達するニーズを持っています。
ごく簡単に言うなら、この両者が洋銀と日本銀を交換すればお互いのニーズが合い効率的なわけです。
ただ、その両者が必要とするタイミングが必ず合うわけでもなく、また、その交換のレートに関する思惑が一致するわけでもありません。
要するに、比較的狭い横浜内ですら、売込商、引取商ともに交換相手を探すコストが発生していたわけです。
そうすると自然とそうした貨幣交換の仲介を行う業者が横浜に登場します。
江戸期を通じて、日本国内でも、金銀銅貨間の交換を行う両替商が多数存在しましたが、その洋銀特化版です。
本稿では当時の彼らの通称であるドル屋と呼ぶ事にします。
ドル屋は当初は横浜に店舗を構えるというよりは、売込み買込み商の店を回って、
交換のニーズ(御用)を聞いて回るという仕事の仕方で、徐々にそのうちの大規模なものが店舗型に移行してゆくと
いうような形だったようです。
(寄稿者 石田 慈宏)
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