TSE教育ホットライン
Vol.388<先生のための春の経済教室>開催します/経済教育ネットワーク
教員対象の、経済教育ネットワーク主催・東京証券取引所共催で行うセミナーのご案内です。
今回は、『サステナビリティの経済哲学』(岩波新書)でこれまでとは異なる「新しい資本主義」、「新しい社会主義」の構想を提起された東京大学の松島斉先生をお招きして、改めて SDGsの教育実践の基盤となるサステナビリティの視点を生かした
授業づくりを考えていきます。
これからの社会のあり方や、サステナビリティの教育や授業実践に関心のある社会科・公民科、家庭科、商業科の先生方、
ひろく教育に関心のある皆さま、ご参加をお待ちしております。
対面参加、Zoom視聴共に事前申し込みが必要です。
■先生のための春の経済教室
・開催日時:3月29日(土) 13:00~17:00
・主催 :経済教育ネットワーク(共催:東京証券取引所(日本取引所グループ))
・開催方法:対面(慶應義塾大学三田キャンパス)+オンライン(Zoom)
・参加費 :無料
・申込締切:3月20日(水) ※先着順。定員に達し次第、締切より前に申込受付を終了することもございます。
詳しくは下記をご覧ください。
【東証マネ部!】今月の注目記事!!
株価指数とは、複数の銘柄の値動きを1つにまとめて数値化したもので、株式市場全体や特定の銘柄グループの動向を表す指標として使われています。
日本の株式市場を表す指数としては「日経平均株価」と「TOPIX」が有名です。
ニュースや新聞で目にする方も多いと思いますが、その具体的な違いは何でしょうか?
こちらの記事では、指数の算出方法を中心に、TOPIXの特徴や日経平均株価との違いについてご紹介します。
2050年に脱炭素社会の実現とエネルギー安定供給の両立に向け、水素エネルギーの普及拡大に取り組んでいる東京都。
その取組の一環として、2024年12月に世界初の「グリーン水素トライアル取引」が実施されました。
どのような取引で、そもそも水素エネルギーの活用は社会にどのような影響を与えるのでしょうか?
東京都職員に取組の経緯や狙いについてお伺いしました。
◆◇最近の株式市場の動向◇◆
2月になり、一時寒さも和らぐ日があったり、寒波で厳しい寒さが戻ったり、
体調管理の難しい季節ですね。引き続きご自愛ください。
では、今回は今年1月以降の東京株式市場の動向について、簡単に市況を振り返ってみます。
2025年1月の株式市場は、月の初めは、日本とアメリカ両国の金利の先高観が強まってきたことに加え、
トランプ大統領による、米国の輸入関税導入に向けた緊急事態宣言検討や、米国からのAIチップ輸出規制強化報道もあって、大幅に値を下げました。
中旬も、米国ナスダック株価指数の下落や日銀による追加利上げが早まるとの見方などから、更に値を下げる展開となり、続落商状となりました。
月末にかけては、ソフトバンクG株の上昇に加え、インバウンド需要への期待感や国内主要企業の好決算などから買われたものの、
中国の低コストAIへの警戒感から半導体関連株などが売られて、若干値を下げて終わりました。
2月になると、東京株式市場は、米国での関税強化の動きや、日米の金利差が縮小するとの見方などから、
先行き不透明感が強まり、狭い範囲で横ばいに推移しています。
先月1月1か月間について、TOPIXで見た上昇率は+0.13%、
上昇した主な業種は、証券、その他製品、銀行株で、下落した主な業種は、海運、電気・ガス、卸売株でした。
学校の授業等で参考にしていただけたら幸いです。
連載第二十九回「歴史の中の市場と証券~証券市場について歴史を遡って見つめる~」
横浜通商会社は明治5年には廃止され、その取引所機能は新たに設立された横浜金穀取引所に引き継がれます。
この取引所は明治政府の要請によって田中平八を含めた横浜有力商人10人の出資によって設立された公的な取引所で、
田中は10名の頭取の中心として、実質的にはこの取引所の経営責任を担っています。
明治7年に、この金穀取引所で、日本の洋銀取引相場史上最大と言っていい相場戦が行われることになります。
田中平八が洋銀需要に目を付けて大量の買い付けポジションを取りました。
それを知った横浜にいたフィドンという中国系のディーラー(香港上海銀行所属の買弁(ばいべん)という役割の者)が
田中の注文に対し大量の売り付けを行いました。
フィドンは、大量の資金を有する、現代でいう機関投資家です。
そんなフィドンが、大きいとはいえあくまで個人に過ぎない田中に売りを浴びせる形になったわけですから、
一時的に大きく洋銀相場は下落します。田中は横浜のドル屋の中心人物で影響力も大きく、今村清之助等
横浜の有力なドル屋の数人が田中側に立って対抗しましたが、田中側は買い付けに関する決済の為の証拠金を
大量に取引所に積み増ししなければならなくなります。
そんな資金は何処にもなかったのですが、田中はこの取引が行われている取引所の経営者です。
彼は一夜にしてこの取引所の証拠基金のルールを変更し、買い手は日本銀を売り手は洋銀を“横浜”において
実際に提示しなければならないとしました。フィドンは取引証拠金として、香港上海銀行発行の手形を納めていました。
勿論、これは当時においては十分な現金同等の信用が国際的にもあったわけですが、フィドンは現物の洋銀を横浜に用意しているわけではないのです。
一方で、田中たちの日本銀の方は、千両箱のような木箱に石を詰めて積み上げ、上の木箱だけに実際の日本銀を詰めて
取引所に提示したと言われています。勿論、この証拠金のチェックをする取引所のトップが田中だったわけです。
これに怒ったフィドンの訴えにより英国と日本の外交問題に発展しそうになり、横浜の行政部署による検査が入ることになるのですが、今度は取引所の立会で、朝一番に突然高値での洋銀売買が行われ、その後に取引が停止されるという事態が起こります。
この突発的な高値によって、表面上は証拠金積み増しそのものが必要なくなった形になりました。
検査を逃れるために田中達が仕組んだことは明白ですが、この取引自体が無かったことのような曖昧な決着になってしまいました。
勿論、横浜金穀取引所そのものの信用は完全に失墜し、取引所はこのまま閉鎖されます。
田中はその後も横浜で意気軒昂な様子がうかがえますが、今村清之助等、横浜の有力なドル屋の多くはこれを契機に横浜での洋銀取引をやめ、新たなビジネス機会を求めて東京に進出していきます。
田中も、これ以降、洋銀取引ではなく東京での米相場に注力していくことになります。
(寄稿者 石田 慈宏)
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