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メインインタビュー
(株式会社ティー・エスグループ会長 斎藤俊男さん)

出稼ぎブームに乗って来日し、日系ブラジル人のための人材派遣会社を設立した斎藤俊男さん。紆余曲折を経て、農業ビジネスへの参入、保育園や学校の設立など、必要に応じて事業範囲を広げてきた。昨年度は日系人の子どもたちのための奨学金制度も創設。斎藤さんを動かす原動力とビジネスの実際を聞いた。

家族連れ日系人社員のため開設した保育室が評判に


埼玉県上里町に本社を置くティー・エスグループ。グループ全体で200人を超える社員の多くを、日系ブラジル人が占める。創業者で会長の斎藤俊男さんも、日系ブラジル人二世。22歳のとき出稼ぎ労働者として来日し、27歳で人材派遣会社「ティー・エス」を起業した。
製造業の人材系ビジネスには大きく分けて、企業に働き手を送り出す「人材派遣」と、自社で業務を丸ごと請け負う「業務請負」の2種類がある。
斎藤さんが初めて起業したのは、日系ブラジル人を工場などに派遣する人材派遣業。社員5人からのスタートだった。
夫婦で共稼ぎをしたくても、子どもがいて思うように働けない日系ブラジル人は少なくない。そんな事情を熟知していた斎藤さんは、社内に保育室を開設した。
「当時はどこも人手が足りなくて、高い賃金で人を集めようとしていました。でも、幼い子どもを持つ親は、時給が50円安くても安心して働ける環境を求めていたんです」
保育室つき派遣会社の評判は日系人社会にまたたく間に広がり、みるみる人が集まった。登録していた派遣社員は多いときで430人に上った。
業務請負のニーズが高くなってくると、業務請負専門の会社も設立した。業務請負の場合、部品を1つ製造すると100円払うといったように、納品した個数に応じて報酬が支払われる。派遣に比べると安価なため、業務請負の需要も少なくなかったが、斎藤さんはコンプライアンス(法令遵守)を重視し、派遣並みの賃金や福利厚生などの待遇を維持しながら実績を積み重ねることを心がけたという。

リーマンショックの影響で深刻な経営危機に陥る

順風満帆だった同社は、2008年のリーマンショックで危機的状況に陥る。現場の仕事は次から次へと切られ、派遣社員は一気に80人にまで減った。
順調に利益を拡大してきた同社の業績は急激に悪化し、創業以来初めて、税金を払えない事態にまで追い詰められた。
「利益は福利厚生施設や土地など不動産への投資に回していたので、税金を払えるほどの貯蓄がなかったんです」
貯蓄より不動産投資を優先していたのは、どんなに経済状況が悪化しても市場が暴落しても、不動産の価値はゼロにならないという親の教えがあったからだ。
ところが、現金を得るために土地や建物を売ろうにも買い手はつかない。それでも、不動産を持っていたことは不幸中の幸いだった。銀行が借入金の返済を5年猶予してくれることになったのだ。
「借金の返済ができなくなってからではなく、返済できなくなる数カ月前に『手持ちの資金から計算すると、◯月から返済できなくなる。何とかしたいがどうしたらいいか』と、率直に相談したことも良かったようです」

荒れた土地を活かして農業ビジネスに参入

農業就業人口の減少と法人経営体数の増加 グラフ

法人税の納付期限が迫ったある日、斎藤さんは税金の相談をしようと役所を訪れた。
「役所に向かう途中に雑草だらけの荒れた土地がたくさんあったんです。日本人はもったいないことをするなと思いました」
税務課からそのまま農地関連の部署に行き、なぜこんなに土地が余っているのか聞いてみた。
「将来が見通せず跡を継ぐ人がいないからということでした。稼ぎが少ないというわけではなく、農家の子どもたちは天候相手の農業を敬遠して毎月安定して給料がもらえる仕事に就くんだとか。もったいないですよね。私は畑を借りて趣味で家庭菜園をしていたので、その放置された土地を使って農業に挑戦してみようと思ったんです」
農業のいいところは、作物を出荷してすぐ現金化できることだ。最初は3カ月で出荷できるホウレン草から始めた。
「ホウレン草、ナス、白菜、トウモロコシ…いろいろ試しましたが、ビジネスとして採算をとることが厳しいものばかり。試行錯誤の末に選んだのはネギでした。1本作るのに1年かかるので、その手間やコストは馬鹿になりませんが、唯一、安定して利益を出せた作物だったんです」
初めは地元の農家でボランティアをしながら、ネギ栽培の教えを請うた。跡継ぎのいない農家の人たちは、真剣に取り組む斎藤さんをかわいがり、土作りから何から、喜んで指導してくれたという。

効率的な機械化にこだわり高品質と納期短縮を実現

事業は徐々に軌道に乗っていった。当初、人材派遣会社ティー・エスの農業部門という位置づけだったが、2012年に分社化して「ティー・エスファーム」を設立、2014年には自社ブランドネギ「ねぎ王(現・葱王)」を商標登録した。
品質の向上と合わせて力を注いだのが、ビジネスとして農業を成り立たせるための効率化だ。同社が出荷するのは1日7~8トン。年間2500トンを超える。
「たいていのビジネスと同じように、最大の経費は人件費。その人件費を極力減らしつつ品質を高めるために、機械化できる部分は徹底して機械化しました。また、作業効率を高める機械の数とレイアウト、清潔で安全な作業環境など、品質を高めつつ出荷量を増やすにはどうしたらいいか、とことん研究したんです」
通常は、1日かけて収穫して2日目に皮をむき、3日目に出荷し、農業協同組合(農協)や市場などを経由して、店頭に並ぶのは収穫のおよそ6日後。しかし、同社のネギは収穫の翌日に店頭に並ぶ。
朝5時から専用のネギ掘り機で収穫。午前中に製造ラインで皮むきを済ませて午後には出荷する。農協や卸などを一切通さず、デパートやスーパー、レストランなどに直接納品しているため、収穫翌日には消費者に届くというわけだ。
消費者の嗜好や動向を常にチェック、品質向上の研究にも余念はない。
「鍋物が多い冬は需要が高まり、太いネギが好まれる。夏場は焼き鳥などに使う細長いネギが好まれるので、育苗の段階から種の配分を変えるなどしています」
農業分野における外国人労働者数 グラフ

面倒見の良さが高じて人材派遣会社を設立

そもそも、斎藤さんはなぜ、故郷から遠く離れた地球の裏側で起業することになったのだろうか?
「日本は自分のルーツ。小さいころから柔道を習っていたし、日本文化も好きだったので、一度は来てみたかったんです」
ブラジルの高校で体育教師をしていたときに出稼ぎがブームになり、1年だけのつもりで妻と一緒に来日。予定通り1年で帰国したが、帰国後間もなく、妻が働いていた会社の社長からもう一度来日してくれと頼まれたという。
「当時はとにかく人手不足。給与を増やすから、10人仲間を連れてきてほしいと言われました」
給与などの条件も良かったことから、15人の仲間を集めて再来日。ともに来日した人たちの取りまとめ役も引き受けた。
「この時の経験から、どうすれば人がついてきて、どうすると敬遠されるのか、人の扱い方を身につけました」という斎藤さん。
持ち前の面倒見の良さから、出稼ぎに来たほかの日系ブラジル人たちからも、面接時の通訳や付き添いを頼まれるようになった。
そんな斎藤さんの姿を間近で見ていた知り合いの社長が、あるときこう言った。「君を頼りにしている人がこんなにいるんだから、会社を立ち上げてビジネスにしたらいいんじゃないか」と。当初は驚いたが、付き添いでさまざまな会社に出入りしていて人脈が広がっていたこともあり、熟慮の末に起業を決意した。
とはいえ、当時は会社を設立するのに最低300万円の資本金が必要だった。そのため、高給が期待できる高圧電線の仕事に転職。2年で600万円貯めて起業した。
しかし、運転資金や社員の住宅費などであっという間に手元の資金が底を尽き、仕事が終わると夜は弁当屋でアルバイトをする日々が2年続いた。それでも、途中で投げ出そうとは思わなかった。
「負けず嫌いなんです。やると決めたら絶対やる。失敗してもやる。柔道をしていたので、戦い始めたら一本取るか、取られるかしかない。途中でやめるのは逃げるのと同じです」

外国人労働者数の推移 グラフ

感謝を行動で示すことで社会に恩返ししたい


そんな斎藤さんにとって、大きな転機になったのが「ティー・エス学園」の設立だ。
少子高齢化が進む日本で、働き手としての外国人の存在感が日々増している。しかし、言葉や慣習の壁を乗り越えられず、悩み、苦しんでいる外国人は少なくない。
「日本の環境に馴染めず、つらい思いをしている日系人は多い。そうした人たちに手を差し伸べることが、日本の社会をよくすることにもつながると思うんです」
そう信じる斎藤さんは2009年、日系ブラジル人のための学校、ティー・エス学園を設立。同社の保育室に子どもを預けた経験のある親たちは、以前から「同じような学校があったら、子どもたちを通わせたい」と言っていた。その願いを叶えるためでもあった。今では埼玉県内だけでなく、お隣の群馬県から通っている子どももいるという。
「私は、来日して日本語もろくに話せないときからたくさんの人に助けてもらいました。人脈も何もない上里町で、商工会やロータリークラブなどいろいろな会に入り、そこで出会った人たちが親身になって指導してくださった。今の自分があるのはその人たちのおかげです」
昨年度、日系ブラジル人の子どもたちのために、返済不要の奨学金制度を創設した。
「出稼ぎの外国人は、渡航費など大きな借金をして日本に来るんです。だから、子どもが大学に進学したいと思っても金銭的に難しい。それでも、優秀で意欲のある子どもたちを何とか大学に行かせたい。そのために財団を立ち上げました」
奨学金の財源は、ネギの売り上げの一部と、志に賛同する企業の支援で成り立っている。
「人を手助けできるのは幸せなことです。世の中は"和"があってすべて成り立っている。いつも周りに感謝して、誠意を尽くす。それを具体的な行動で示すことで、社会に恩返ししたいと思っています」
教えて!斎藤俊男会長!Q&A

Q:忘れられない先生はいますか?

A:小学校2年生からお世話になった柔道の先生です。埼玉県出身の先生で、とても厳しかったですが、負けない強さを教えてくれました。私の負けず嫌いの性格は、柔道を通して身についたと思います。

Q:日本と海外の違いを感じるのは?

A:先輩・後輩の関係ですね。これはブラジルにもアメリカにもありません。年上の人に敬意を払うことはとても良いことで、規律を重んじる日本国民の素晴らしい側面の一つでしょうね。しかし、ビジネスの世界は常に厳しい環境にさらされるため、年齢に関係なく、若い社員の斬新なアイデアや意見も取り入れるべきです。海外では、若手が成長できる環境が整っていますが、日本ではまだ年功序列の文化が重視されているせいか、チャレンジする若者が少ないと思います。

Q:子供たちへ伝えたいことは?

A:自分を信じること。日本人は、自分ができることでも「できる」とは言いません。もっと自分を好きになって、自分のことを信じる。その気持ちが何より大切です。私は、誰が何と言おうと自分が好きだし、信じています。そして、2番が嫌い(笑)。何でも1番になりたいと思って取り組んでいます。この気持ちがないとビジネスでは成功できないと思っています。

~斎藤さんが起業するまで~年表

<プロフィール>
斎藤俊男(さいとう・としお)
1967年、ブラジル・パラナ州で日系二世として生まれる。大学卒業後に体育教師となったが、出稼ぎブームに乗って1990年に22歳で来日。2度目の来日後、1995年人材派遣会社を創業。リーマンショックを機に経営の安定化を目指し、農業に参入。日系ブラジル人の教育にも力を入れ、保育園やブラジル人学校を運営。2017年、50歳になったのを機にグループの中核企業「株式会社ティー・エス」の社長を退いて会長に就任。日系ブラジル人の教育に力を注ぐ。

<ティー・エスグループとは>
日系ブラジル人の人材派遣を行っている「株式会社ティー・エス」、高級スーパーやデパート、レストランなどで採用されている自社開発のブランドネギ「葱王」の生産・販売を行う「株式会社ティー・エスファーム」を中心に、日系ブラジル人の子どもたちのための保育園や学校の運営、業務請負や体育館のレンタル、不動産業、ブラジル・タイとの貿易など、事業範囲は多岐に渡っている。グループ全体の従業員数は200人超。2018年に「ティー・エス財団」を設立し、返済不要の奨学金を創設した。