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メインインタビュー
(株式会社フリースタイル代表取締役社長・青野豪淑さん)

借金4000万円を抱え、一度は自殺を考えた青野豪淑さんが起業したのは、「世のため、人のため」にヤンキーや引きこもりたちに就労場所を作ろうと思ったことがきっかけだ。IT企業でありながら、売り上げを追うことより、日々社員に愛を説き、創業十余年で年商7億円を突破した“フリースタイル流”起業家精神を伺った。


 2006年に4人で創業し、現在は社員数150人、年商7億円超まで成長したIT企業フリースタイル。取引先にはトヨタ自動車や富士通など日本を代表するそうそうたる企業が並ぶ。創業からしばらくは下請け仕事ばかりだったが、今では自社システムやオリジナルゲームの開発も手掛けている。
 しかし、社内や社員の人たちを見渡しても、いわゆるIT企業とは少し違った雰囲気が漂う。社長が社員たちに熱く語るのは「愛」について。入社時には、自分が受けた善意や思いやりを、その相手ではなく別の3人に渡して幸せの連鎖をつないでいくことを描いた映画「ペイ・フォワード」(2000年)を視聴することが必須。この「ペイ・フォワード」を実践することで、本気で世界を変えようとしている会社なのだ。
「社長って戦国時代でいうところの〝殿〞と一緒だと思うんです。そこに住む人たちみんなを守って、いざとなったら自分は切腹する。だから社長は、誰よりも従業員を大切にして、会社で一番自分のことを粗末にする、そういう人がトップになるべきだと思う」
 青野さん曰く、起業はお金や欲望のためではなく、松下電器を創業した松下幸之助のように、世のため、人のため、従業員を幸せにするためにするものだという。 
 これは、フリースタイルの起業精神そのもの。青野さんはもともと、起業する気は全くなく、創業のきっかけは、ボランティアで相談に乗っていたヤンキーや引きこもりの子たちの就労場所を生み出すことだった。

自殺を思いとどまり「生きるなら人のために」

 幼少期の青野さんは夜逃げを経験するほど貧乏な家で育ったこともあり、高校卒業後はとにかくお金を稼ぎたくて、店長を目指して食肉店に就職。牛海綿状脳症(BSE)問題のあおりを受けて退社した後、転職した不動産会社であっという間にトップ営業マンとなり、月200万円以上稼ぐまでになった。自分の実力がどれほど通用するかを試すべく、様々な業界に転職しては瞬く間にトップの成績を上げてまた転職する。そんな日々を繰り返していた。ビジネス書を片っ端から読み、セミナーなどで貪欲に知識を仕入れたことを実践していたのだ。
「お金を突っ込んでセミナーに行きまくらないと稼げない。当時はそう思い込んで、セミナーに1億円以上投資しました。月200万円以上稼いでいても足りず、気づけば借金は4000万円。毎日借金取りがやってきて、取り立ての電話が日に70件。死んだほうがよっぽど楽だと思った」
 そして、26歳のとき、借金苦から逃れるため、中学時代に住んでいたマンションの14階から飛び降りようと、手すりにぶら下がった。
「不思議と恐怖はなかったんですが、手すりにぶら下がったときにそれまでのことが走馬灯のように全て脳内再生された。自分が今までしてきたいいことも、悪いことも、全部頭の中を駆け巡ったんです。それを見て、自分のあまりの業の深さに、このままでは死ぬに死ねないと思った。そのとき、天啓といったら大袈裟ですが、『これからは、世のため、人のために生きよう』。その言葉だけが残ったんです。そして、小さい頃ウルトラマンになりたかったことと、大好きだった映画『ペイ・フォワード』が頭に浮かびました」
 無償の愛で人々を救うウルトラマンになる。しかし、ウルトラマンは自分が死んだらそれで終わりだから、次の人に愛を手渡す「ペイ・フォワード」を実践する。自殺を思いとどまったとき、これからは会う人全てを幸せにしようと心に誓った。

始まりはボランティア。若者の就労のために起業

 その日を境にボランティアを始めたが、どれもピンとこなかった。「人とは違う、自分が初代になるようなボランティアがやりたい」と思った青野さん。知人の紹介で1人のいわゆる“ヤンキー”の若者と出会ったとき、「彼を絶対真っ当な人間にしよう」と決意した。
 1億円以上投資するほどセミナーに通い、結果を出してきた営業マンだけあって、結果を出すためには「これを教えたら成功する!」というセオリーがわかっていた。人を惹きつける話し方も数々のセミナーから学んでいたため、試行錯誤をしながらも、その若者を社会人としてしっかり働いて稼げる青年へと変貌させた。こうして目に見える成果が上がると、その噂が若者の友人たちから口コミで広がり、セミナー形式の会が開かれるように。このセミナーを受けてもなお就労できないヤンキーや引きこもりたちの働く場所を作ってくれと頼まれる形で、2006年フリースタイルを起業した。
 とはいえ、他でも引き取り手がなく、社会人経験もゼロのヤンキーや引きこもりだけでIT企業を立ち上げるのは、あまりにも無謀に感じられる。
「ボランティアを通して気づいたのは、彼らは今までいろいろなことをイヤイヤやらされてきたということでした。我慢ができない、努力ができないと周りから言われ、自分たちもそう思っている。でも、宿題が嫌な子に、無理やり宿題をやらせたらもっと嫌になるだけ。逆に、どれだけ楽しいか教えることができたら、勉強しろと言わなくても勉強するようになる。勉強した後に何があるか、ちゃんと伝わった子は乗り越えられるんです」
 青野さんがよく話す例に、「2mの壁」の話がある。
 目の前に2mの壁があるとする。理由も言わずに「これ登って」というと、登れなくはないけれど、体力的にもかなりしんどい。しかし「乗り越えたら200万円あげようと思っていたのに」というと、途端にその壁は1mくらいに感じられる。壁を登るときに使うカロリーも能力も変わらないのに、無理やりやらされるとそれこそ愚痴しか出ないが、その先に200万円があると思うと自ら挑戦する。
「人が何かやろうと思うには、動機が大事。ヤンキーや引きこもりの子は、その動機を失っている状態です。2mの壁の向こうに何があるかを明確に見せてあげる必要がある。だから、フリースタイルでは動機になりそうなことを示して、体験させています」

ゲーム開発の次なる夢は「障害者をプログラマーに」


 ヤンキーはコミュニケーション能力が高く、接待もいとわないので営業に向いている。引きこもりの子は、人と会わずに作業もできるプログラマーの道がある。そう考えて、起業する業種をITに絞った。
 ただ、ゼロから人を育てるにはコストと年月がかかる。ダブルクリックすら知らない子にパソコンの使い方を教えるところからスタートし、5年かけてやっと一人前のプログラマーになり、「さあ、これからだ!」と思ったときに、全員引き抜かれてしまった。
「若い子たちは欲望に引っ張られやすいので、目の前の好条件でほかに移ってしまいがちなんですよね。その引き抜きがあった後は、採用方針を軌道修正したり、社内制度や待遇などを充実させたり、会社に残りたいと思えるような改革を徐々に進めてきました」と青野さんは苦笑する。
 プログラマーには特に国家資格がないため、同社では社内で4段階の職位制度を設けた。下請けとして派遣された企業で腕を磨いたり、社内講習で技術を身につけたりすれば、技術ランクや給与に反映するなど、評価を明確化しているのも特徴だ。
「漫画家と一緒でプログラミングにもアシスタント業務がある。そうしたアシスタント業務を経験できる下請け業務は、人材育成の観点からも必要」
 サーバーの保守・運用やゲーム開発の下請け業務を積み重ねてきたおかげで自社にノウハウが蓄積され、サーバーやゲームの自社開発にも乗り出した。
 そして、これから新たに取り組もうとしているのが、障害者支援施設に通う若者たちにプログラミングを発注することだ。
「障害者支援施設で働いている子たちの給与は驚くほど安くて、ほとんどの子が生活保護を受けている。しかし、今まで積み重ねてきたノウハウを生かし、彼らが施設でプログラミングの仕事をすることができれば、生活保護から給与をもらう生活に変わることができる。これが実現できたらかなり画期的なこと」と目を輝かせる。
 今では有名大学を卒業した学生が希望して入社するほど、人気の会社となったフリースタイル。「ペイ・フォワード」の精神で世界を変えようとしているこの会社は、これからも「愛」で進化を続けていく。
教えて!青野豪淑社長!Q&A

Q:忘れられない先生はいますか?

小学校5・6年生の時の担任の先生です。とにかく褒め上手な先生で、僕のことを「決断力がある」って言ってくれて。子供は単純で、思い込みが重要なんです。だから、そう言われると僕もその気になって、友だちと遊んでいても「自分が決断しなきゃ!」と思って、自然と決断するようになるんですよね。また、ある時は「歴史がすごいね」と言ってくれた。何がすごいって、その時テストで20点しか取ってないんですよ、100点満点のテストで(笑)。でも「正解している答えは、みんなができていない問題ばかりですごい」と。それから、歴史のテストでは80点以上しか取らなくなった。
うちはすごく貧乏で、小学6年のときに夜逃げをしたんですが、その後もクラスの子たちからの手紙を集めて送ってくれたり、僕からの手紙を渡してくれたり。家庭環境や背景も全てわかった上で接してくれました。

Q:起業で大事なことは何ですか?

A:自分が思う“かっこいい”を追求することですね。昔、僕はウルトラマンになりたかったんですが、ウルトラマンではなく“ウルトラマンのような人”になりたかった。今はガンジーになりたいんですけど、あそこまで清貧にはなれないので、“ガンジーのような人”(笑)。僕はガンジーのことをかっこいいと思っていて、みんな「いいね」と同意はしてくれるけど、別に全員がガンジーになりたいとは思わないですよね。
一人ひとり、自分の正義に従って生きることが大事。自分の未来に対して、かっこいい青写真を持っているかどうか。青写真を明確にイメージできたときに、それが叶っていくと思います。だから、“フリースタイル(自由)”に、自分の姿を描いて欲しいですね。

Q:ヤンキーや引きこもりなど、学校生活になじめない生徒に教えることに悩んでいる先生にアドバイスを。

A:ボランティアを始めて最初に関わったヤンキーの子は、初めの頃は僕が何を言っても全然反応がなかったんです。ただ、ヤンキーは寂しがり屋の子が多いから毎晩僕のところには来ていた。そのときに気づいたのは、「車の教習所」と同じだということ。車の運転免許を取るときに、学科が先か、実地が先かは関係ない。何より「乗りたい」という気持ちがあるから教習所にみんな来ているんです。まずは気持ちがないことには始まりません。どのように「乗りたい」と思わせるか、その動機づくりが重要だと思います。

~青野さんが起業するまで~年表

<プロフィール>
青野豪淑(あおの・たけよし)1977年、大阪府生まれ。高校卒業後、食肉店に勤務するも牛海綿状脳症(BSE)問題のあおりを受け転職。その後、住宅、宝石販売などのトップ営業マンとして活躍する一方で4000万円の借金を背負い、26歳のとき自殺を試みる。すんでのところで思いとどまり、ヤンキーや引きこもりの子らの相談に乗るボランティア活動を開始。就労先のない子たちの働く場所をと、2006 年に株式会社フリースタイルを設立した。著書に『ヤンキーや引きこもりと創ったIT企業が年商7億』(朝日新聞出版)がある。

<フリースタイルとは?>
2006年、愛知県名古屋市で創業したIT企業。創業当初は、就業先のないヤンキーや引きこもりたちをゼロからプログラマーや営業マンに育てるために、プログラミングの下請け業務などを中心に受託。その後、独自の教育システムを確立し、プロのプログラマーを育成。一流メーカーに人材を送り込みながら、自社オリジナルのシステムやゲーム開発を行う「メーカー」へと進化した。2020年には障害者支援施設で働く障害者をプログラマーに育成する事業に着手する。