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Vol.348 連載第七回「澁澤栄一と東京株式取引所」

1868(明治元)年、帰国した栄一は主人である徳川慶喜のいる静岡藩に所属し、商工会議所という「会社」を、藩を代表して運営し始めます。
欧州で鮮烈に体験した『商業』(ビジネス)が世の中を豊かにし、国家を強くするという仕組みを日本において実行する為です。

栄一にとって、世の中をよくするために具体的に行動する事は彼が生涯信奉した論語(恐らく中国古典ではなく徂徠学)の精神そのものでもありました。
商工会議所そのものは試行錯誤の連続で、まだ成功するか定かではない状態でしたが、東京支店を開設するために東京で勢力的に活動していました。
栄一にとって一橋家時代以来、再び幸せな時期だったようです。

しかし、時代は栄一がのんびりと静岡で会社作りをすることを許さず、明治政府の要請により、静岡藩から政府に差し出された有為の人材として、栄一は1869(明治2)年から大蔵省と民部省に勤務する事となります。

時の大蔵省のやろうとしていたことは膨大で多岐に渡りましたが、簡単に言えば、近代国家の財政を確立し産業を振興する基盤としての金融システムを整備する事でした。
もっと簡単に言えば、各地に近代的な銀行を一刻も早く整備する事でした。

なぜ銀行なのかといえば、資金を提供する融資機能よりも、まず、生糸を中心とした地方産業と世界との貿易を決済面で滞りなく繋げる為替金融の整備は、明治政府にとって喫緊の課題だったのです。

明治初期の産業は生糸生産とその輸出であり、その貿易によって日本の近代資本主義が立ち上がろうとしていたわけですが、
江戸期の金融システムは江戸と大阪間の両替商のネットワーク(それはそれで当時の西欧銀行に匹敵する為替等のサービスを提供していました)で地方にはネットワークがありませんでした。
その理由は、生糸生産は地方で発生したため、生糸輸出が一気に巨大になる一方で、輸出業者と生産業者間の金融リスクが日本産業のシステマティックなリスクになっていたからなのです。

(金融リテラシーサポート部 石田 慈宏)

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