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堂島米市の図(大阪府立中之島図書館)
わが国における取引所の起源は、遠く江戸時代、 承應・寛文年間(1652~1673年)、当時の経済の中心であった大阪に設けられた米穀取引にさかのぼります。
全国各地の諸藩はこの地に蔵屋敷を設け、年貢米を回送・貯蔵し商人に売却しましたが、その中で最も有力な商人であった「淀屋」は、現在の淀屋橋の南詰めに居を構え盛んに米の売買を行ったことから、次第に他の商人たちも集まりおのずから一つの市場を形成しました。
この市場は「淀屋米市」と称され、米と交換できる証券(米切手)が用いられたことから、わが国における証券取引の始まりと言われています。
その後、市場は元祿10年(1697年)に対岸の堂島に移され、享保15年(1730年)幕府から、米切手を売買する現物市場(正米商い)と、米の代表取引銘柄を帳面上で売買する先物市場(帳合米商い)が公認され、堂島米会所と呼ばれる公的市場が成立します。
堂島米会所は、わが国における取引所の起源とされるとともに、世界における組織的な先物取引所の先駆けとして広く知られています。
1878年5月 |
株式取引所条例(太政官布告第8号)制定 |
1878年6月 |
大阪株式取引所設立免許
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1878年8月 |
売買取引開始
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1879年1月 | 明治32年頃の大阪株式取引所 株式の取引として最初の、大阪株式取引所株式の売買取引開始 |
1922年9月 |
短期清算取引開始 |
1935年4月 |
新市場館落成 |
1943年6月 |
特殊法人(営団組織)日本証券取引所設立
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1945年8月 |
終戦に伴い立会停止、取引所市場は以降1949年(昭和24年)5月まで閉鎖(取引所空白期) |