上場会社トップインタビュー「創」

株式会社ビジョン
  • コード:9416
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2015/12/21
佐野 健一(株式会社ビジョン)

周囲の人々に後押しされ、独立への思いが加速した青年時代

佐野 健一(株式会社ビジョン)インタビュー写真

 鹿児島県出身の経営者といえば、京セラ創業者の稲盛和夫氏が全国の起業家から名経営者として高い評価を得ている。その稲盛氏と同じ鹿児島出身であり、生まれ育った町も一緒なのが、今回登場する株式会社ビジョン代表取締役の佐野健一さんだ。当初より独立志向であったという佐野さんに、その背景を伺った。

「両親の影響が大きかったですね。母は居酒屋を経営していて、中学時代からたまに手伝っていたんですが、スーツを着ているサラリーマンの人たちは会社や仕事の不満を言っては酔っぱらっている人が多かったです。一方で、工務店を営む父の知り合いの職人さんとか、自分で商売している人たちは威勢がよくて楽しそうで、自由に生きている感じがしたんです。そこで憧れを感じたのが、自分で商売をしたいと思った最初のきっかけでした」

 中学時代にはもう一つ、佐野さんの独立志向を後押しした、印象深い父の言葉があった。

「父が『世の中にはお金がいくらでも落ちている。だけど、落ちているのが見えていても、それを取れるのか取れないかでは全然違うんだ』と言っていたんです。当時はその意味にピンと来なかったんですが、刺さる言葉でした。お金というと少々いやらしさがありますが、チャンスという言葉に置き換えてみると分かります。たくさん落ちているチャンスを取れれば、いろいろな可能性が広がったり、困っている人を助けたりできるじゃないかと思いました」

 高校卒業後、東京に出た時にしばらく居候させてもらった小学校の同級生が起業していたことも、佐野さんのモチベーションを高めてくれた。パソコンで超高層ビルの設計を手がけていた友人は19歳にして多額の収入があり、「これは相当出遅れてしまったぞ」と佐野さんは危機感を持ったという。

 しかし、いきなり起業は難しいと考え、どこかで修業することを検討した。これから成長性があると思われる分野として通信業にたどりついた。当時の第二電電(DDI)の設立者は、佐野さんと同郷であり同じ中学出身の大先輩、稲森和夫氏だ。DDIの代理店として創業した光通信に、佐野さんは19歳の時に入社することになる。

「独立を念頭にした入社とはいえ、当時の7人の同期のうち、お寺の住職の息子を除く全員が、独立したいという志を持っていたのには驚かされました。すぐ近くにいる同期の存在に刺激を受けたことも、自分で商売をしたいと思うスピードを加速させた理由の一つでした」

抑えきれなかった独立への衝動~富士の雄姿!~

佐野 健一(株式会社ビジョン)インタビュー写真

 入社後すぐにトップ営業マンになり、ハイスピードで実績と評価を積み上げていった。自分なりに工夫してやるしかないというシビアな環境の中で、いろいろなチャレンジができたと佐野さんは振り返る。

「様々な事業を事業部長として経験したほか、支店の立ち上げなども担当しました。他にも交渉、予算策定、採用、労務管理、業績管理などのマネジメント業務を、自分たちで考えながらやるという経験を20代前半で積めたことは、その後の起業にとても役立ちました。22歳で大きな予算を受け持った時は、さすがにプレッシャーで胃がキリキリしましたが、多くのことを学べました」

 そして1995年、当時800名の部下を持つ事業部長だった佐野さんは、新幹線の通過待ちの新富士駅で、たまたま富士山を見た。

 その壮大さに魅せられ、運命的な出合いを感じて、「日本一を目指したい」と新幹線を飛び降りた。

 そのまま改札口を出て不動産屋に入り、起業のための物件を契約。会社を辞め、縁もゆかりもない街でアパートを一室借りて、たった1人、情報通信サービスのディストリビューターとして起業することになったのだ。

佐野 健一(株式会社ビジョン) インタビュー写真

 唐突とも思える行為だが、「以前にも増して起業したいという考えは高まっており、会社の主だったメンバーには会社を辞めるだろうことは事前に話していました。自分がいなくなっても皆が大丈夫なように準備していました。事業部長の上のポジションは取締役だったと思いますが、役員になると簡単にやめられないでしょうし、競業の問題なども出てくるので、退職はちょうど良いタイミングだったと思います」

 800人の部下を持つ立場から急転、営業だけでなく自ら電話番や掃除係をするところからのスタートだった。当初手がけた事業は入金までのタームが長く、資金繰りが苦しかったため使えるお金が底をつき、1週間連続でカップラーメンという生活も経験した。

「会社員時代でも、様々な局面に接して精神的に相当タフになっていたおかげで、苦労は感じませんでした。誰も知り合いのいない土地で、不動産屋さんや会計士さんに親切にしてもらったり、一番は偶然ブラジル人のサッカー仲間と知り合ったことで国際電話サービス事業のビジネスチャンスが広がると確信したし、恵まれていましたね。今振り返ると、タイミングってあるんだなと感じます。もちろん僕も、事業をやりたいという思いを強く出していたからこそ、その思いを受け取ってくれる人たちがいたのだと思います」

顧客に選ばれ、信頼されることがさらなる会社の成長につながる

株式会社ビジョンの収益基盤は、グローバルWiFi事業と情報通信サービス事業が主な二本柱だ。

 創業当時からの情報通信サービス事業は、国際電話の取次サービスからスタートし、2年目で売上10億、利益2億円を達成。その後、固定電話事業、移動体通信事業、ブロードバンド事業などを次々と展開していった。2004年頃からインターネットの普及に伴い、ネットを使って集客するようになっていった。

「これまでの営業経験から、潜在的なニーズを掘り起こすよりも、顕在化したニーズがあるところに積極的にアプローチしたほうが、お客様の成長率が高いと考えました。インターネットは顕在化している顧客を掘り起こすことができるツールです。例えばコピー機やビジネスフォンのウェブサイトを作ると、そこにアクセスしてくる会社は、自ら安価なサービスを検索する意欲があることからコスト意識が高く、成長率も高い。そういったお客様に対し、コンシェルジュを配置して丁寧な対応を心がけるとともに、時代の変化やニーズに合わせて商品ラインナップを増やし、かつ安く提供してきました。そうすることでお客様とのお付き合いも長く深くなり、新商品が出ても受け入れてもらいやすく、他社と差別化することができました」

 もう一つの柱であるグローバルWiFi事業は2012年からスタートした。当時はまだ海外でのモバイルインターネットの接続環境が不十分で、「長時間利用したら100万円もの高額請求が来た」「通信スピードが遅い」「エリアが狭い」などといった不満の声があがっていた。

「これからグローバル化を迎える上で絶対に解消しなければいけない課題だと思い、世界中の通信会社に電話でアポイントを取り、1件ずつ地道に交渉して契約を結んでいきました。最初はとても苦労しましたが、これまでの通信におけるノウハウと実績があったので、大手通信会社などの協力も得ることができ、非常に助けられました」

 こうして、海外渡航者向けに安価で安全・快適にネット接続できる海外用Wi-Fiルーターレンタルサービス「グローバルWiFi」が誕生。2019年2月には累計利用者数が1,000万人を突破し、株式会社ビジョンを支える主力事業に成長した。

 事業において大切にしているのは「顧客に選ばれること」だと語る佐野さん。新しいサービスは浸透するのに時間がかかるが、顧客に選ばれ喜ばれることで支持が集まりやすくなり、顧客は顧客を呼び込んでくる。
 
「当社には、そうして築き上げていった顧客の基盤があります。グローバルWiFiは年間300万人以上に使っていただいていますが、その方々に新しい商品やサービスをテストしてもらったり、いくらだったら買うかといったご意見を聞き、それを反映させられるのが当社の強みです。新たなテクノロジーとお客様の声を結び付けていく中で、世に必要不可欠なものを探っていきたい。決して我々の押し付けではなく、本当に皆さんに良いと思ってもらえるものを導入していきたいですね」

佐野 健一(株式会社ビジョン)インタビュー写真

上場準備から得たもの~社内体制の構築と生産性の向上~

佐野 健一(株式会社ビジョン)インタビュー写真

 Wi-Fiルーターレンタル事業を始めて3年目、黒字に転換したタイミングで上場を目指すことにした。「グローバルWiFi」という初の自社ブランドができ、安定的な成長が見込める道筋ができたこと、上場によって認知度が高まりブランディングが期待できることがその理由だ。

「上場準備の際に法務部を作ったり、経理と財務を分けたり、会計処理を見直したり、非常に大変でしたが、その必要性を考えてみたら全て意味のあるものばかりと理解でき、やって良かったと思いました。他にも、例えば職務権限の整理においても、単に規程を作成するのではなく自社に合う職務分掌を検討しブラッシュアップすることはとても大事なプロセスでした。
 
 さらに常態化していた残業についても見直しました。限られた時間の中で業務を終わらすことを考えた結果、社員の残業時間は大幅に減り、有休取得率も高くなり、生産性が上がって無駄がなくなりました。おそらく上場を目指さない限り、そういったことを真剣に考えなかったでしょうから、会社にとっても良かったです。
 
 そうそう、利益が出ることで税務調査が入った際も、税務署の担当の方から得るものが多く、毎年、調査してもらえないかと話したら、笑われてしまいました。

 それでも、無料でコンサルタントを受けているような前向きな気持ちになれたのも忘れられない思い出です」

 そして株式会社ビジョンは創業20周年となる2015年の12月21日に、東証マザーズに上場し、翌年の2016年12月には市場第一部に市場変更を果たす。

 上場前からベストベンチャー100受賞など多数の表彰実績があり、上場を経て急成長を遂げた株式会社ビジョン。しかし、佐野さんはあくまで謙虚にこれまでを振り返る。

「軌道に乗ったという意識は未だにないんです。市場環境も変わり続けているので、常にキャッチアップしていかなければいけません。上場したことで、以前よりは資金に余裕があり、様々な勝負ができるようになってきました。今はキャッシュベースというより、既存事業をアップデートしながら、新しい事業に進化することに重心を置いています。贅沢な悩みと言われるかもしれませんが、まだ安定志向にはなりたくない。経営をバトンタッチする時に初めて、これまでを振り返って『良かった』と感じるかもしれません」

経験を糧に若手起業家たちの力になり、社会への恩返しをしたい

佐野さんは2000年から、年商1億円以上を超える会社の若手起業家・創業者の世界的ネットワーク組織「EO(Entrepreneurs' Organization)」に参加。日本支部の第14代目の会長を務めるなど、起業家の応援活動を積極的に行っている。

「EOでは、みんな真剣に事業をどう伸ばすかを学んでいます。世界で1万2千人の会員がいて、いろいろな起業家と会うことができ、様々な情報をシェアしています。得られる生の情報が多いほど選択肢がどんどん増えていきますし、自分はそうやって成長することができました。恩返しの意味も込めて、今後もできる限りのことをして次の若手を育てていきたい。そして日本経済を盛り上げたいと考えています」

 そんな佐野さんのオフタイムは、家族と過ごしている時間が圧倒的に多いという。

「今は、鹿児島の実家の温泉旅館を手伝いに行くことが多いです。父が75歳なのですが、年に2~3回くらい帰省するペースでは会える機会は限定されてきていると思いました。そこで、せっかくだから以前から話をしていた温泉旅館の事業を始めてはどうかと声をかけました。自分を起業家への道に駆り立ててくれた両親への恩返しではないですが、僕がオペレーションの仕組みや営業戦略を考えてアドバイスし、父が社長になって、母と妹とで昨年10月にオープンしました。おかげさまでたくさんのお客様に来ていただいて、当社よりも利益率がいいくらいです(笑)」

 そんな佐野さんの姿が鹿児島の若手起業家たちの刺激になっており、「一緒に飲みましょう」と声をかけられることもしばしば。今後は地元での勉強会も企画予定だ。佐野さんは、さらなる起業の風を故郷に呼び込む貴重な存在になっている。
 
 ビジョンの社会貢献はもとより、多くの傑物を輩出してきた鹿児島が、これから先も多くの人材を社会に送り出してくれるという期待を感じることができた。

佐野 健一(株式会社ビジョン)インタビュー写真集

(文=武田純子 写真=青地あい 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2019/03/06

プロフィール

佐野 健一(株式会社ビジョン)
佐野 健一
株式会社ビジョン 代表取締役社長兼CEO
1969 年
鹿児島県生まれ
1990 年
株式会社光通信に入社
1995 年
静岡県富士宮市に有限会社ビジョン設立(96年株式会社ビジョンに改組)
2012 年
「グローバルWiFi」開始
2015 年
東証マザーズ上場
2016 年
東証市場第一部へ市場変更

会社概要

株式会社ビジョン
株式会社ビジョン
  • コード:9416
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2015/12/21