東証Arrows見学

「証券史料ホール」に戻る

『燃え上がる日本石油』・『驀進する大阪商船』

冊子『燃え上がる日本石油』(写真左)、冊子『驀進する大阪商船』(写真右)

写真左は、昭和11年7月、東山新八という人が京都で発行した冊子『燃え上がる日本石油』、写真右は、昭和14年4月に「東山證券觀測所」より発行された冊子『驀進する大阪商船』で、どちらも著者は同じです。これらの冊子はそれぞれ31頁、26頁にわたり、当時、東京株式取引所で取引されていた「日本石油」、「大阪商船」について、業界展望や投資価値などを解説しています(「棒足」や「ローソク足」のケイ線も使われています)。

著者は「はしがき」でこの冊子作成の目的を「經濟組織の複雑化と共に一般の投資知識も向上して來ました。從って證券市場に於いての一摑千金は全くの夢であり…今後市場に於いての成功は有望株の堀り出し買い以外にない…有望株でも伸びゆく尺度の大きなものを撰擇する必要がある」と述べています。

当時の日本は、“戦艦”の絵が入った表紙に象徴されるように、二・二六事件(昭和11年2月)、日華事変勃発(昭和12年 7月)などを契機として、政治・経済体制が否応なく軍事色を濃くし、国家総動員法の施行(昭和13年5月)から国民経済があらゆる分野にわたり統制されるといった時代でした。また、こうしたことから株式市場は、おおむね不安定な状況が続いていました。

冊子の中でも、「日本石油」は、軍事予算の増加や「油の保有量如何が戦闘力を表示する」ほど“油”の重要性が増しているといった点などから、「大阪商船」は、兵隊や物資の輸送増加が見込まれ、「海を制するものは世界を支配する」といった点などから、最も将来性のある有望株として取り上げられ、こうした解説にも、当時の日本の情勢を伺い知ることができます。

ところで、東山新八の有望株はどうだったのでしょうか。冊子『驀進する大阪商船』の中で、「日本石油の場合は昭和11年7月でありましたが十ケ月後に五十圓高…この商船も二、三ケ月後、遅くても半歳後には一般の豫期せぬ大高値を示現するものと確信」と書かれています。「大阪商船」のその後の記録がないのが残念ですが、どのような相場展開になったか大変興味深いものです。