東証Arrows見学

「証券史料ホール」に戻る

GHQメモ証券取引3原則

下の写真は、取引所再開がいよいよ軌道に乗りかけた昭和24年4月20日、GHQアダムズ証券担当官から、当時、証券行政の中心機関であった証券取引委員会に提出された『証券取引3原則』です。

証券取引3原則

昭和24年4月1日、東京、大阪、名古屋の3都市に、念願の会員組織の証券取引所が設立されました。ところが、市場再開に先立ち、GHQはこれら取引所の実地調査を行いました。そして、大阪証券取引所を視察した際、我が国の証券業者の長い間の商慣習であった「仕切り売買」(取引所を通さず店頭で売買すること)要望を耳にするとGHQは態度を急変させ、取引所再開に当たり必要最小限度の要件として、この『証券取引3原則』を提示してきました。

この「3原則」とは、(1)それまで自由に行われていた上場銘柄の店頭仕切り売買を禁止し、原則として、すべての取引を取引所に集中させ、公正な価格形成と流通の円滑化を図る、(2)売買伝票に受託時間と売買成立時間を正しく記録させ、業者の不正又は過誤の生ずる余地を無くし、投資家保護を図る、(3)従来の清算取引、すなわち差金の授受を目的する投機的取引を禁止して実物取引一本とし、取引の健全化を図る、というもので我が国の証券取引制度の根本的改革を意味するものでした。

GHQの態度は強硬であり、取引所開設が先決で、これらを議論している余裕はないと判断した取引所は受諾を決定し、小林理事長(当時)自らがGHQに出頭して「3原則」を忠実に履行する旨を伝えましたが、「予期されてはいたが、旧慣習の復活に、なお期待をかけていた証券業者にとっては、大きなショックであった」(東京証券取引所20年史)、「失望と同時に、アメリカ側の態度を憤慨し、取引所当局の弱腰を攻撃する声も起こりました」(兜町盛衰期)とのことから、兜町の反応は厳しかったようです。

結局、この「3原則」に従って、新たに取引手法を決定し、待望の取引所での売買が開始される運びとなりますが、ともかくも、過去3年数ヶ月にわたる取引所再開運動がようやく実を結び、その後の株式市場の盛況をみる鮮やかな除幕が開かれたことは間違いないようです。