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撃柝

撃柝

右の写真は、昭和57年の大納会が最後となった集団競争売買制度で、東京証券取引所(東証)が指定した特定銘柄の始値及び終値の決定時、取引の始めと値段 決定の合図として柝を入れる(この拍子木に似た二枚の檜製の板を打ちならす)ために使用した「撃柝」(単に“柝”ともいう)です。この集団競争売買(撃柝 売買ともいう)が行われていた当時、「『ピーン』という裂帛の気合を感じさせる撃柝の響きが、朝一番取引開始を告げる』(兜町かいわい)ことが、兜町の象徴の一つでした。

集団競争売買は、多数の売方と買方が特定ポスト(高台)の前に集まり、値段を競いながら売買を集団的に行い、売りと買いの全注文を単一の値段により成立させるもので、取引所では、東株時代の明治33年12月22日から、東株と日本郵船の2銘柄によって始まりました。

この売買取引における取引所職員の役割には、撃柝係、帳付け係、見張り係があり、見張り係は更に甲乙の2種類ありました。甲見張り係は約定した商いを読み、それを帳付け係に伝え、乙見張り係は商い全体を整理し、撃柝係が値段を決めやすくする役割でした。取引所職員は、帳付け係、見張り係順に経験を積み重ね、撃柝係となって柝を打つためには5年程度の経験を要するなど特殊な技術が要求され、市場の花形といわれました。

ところで、この撃柝の響き。昭和59年1月、約1年2か月ぶりに東証立会場(旧市場館)に響きわたりました。NHKが大河ドラマ「山河燃ゆ」の一場面として、昭和13年当時の集団競争売買の立会い風景を収録するため、東証が協力して再現したことがありました。三つぞろいに蝶ネクタイ、丸メガネといった当時の服装に身を固めた特定ポスト経験者25名が、撃柝係、帳付け係、見張り係や証券会社の場立役として、それぞれ協力出演しました。

「山河燃ゆ」の一場面

右の写真は、そのときの一部ですが、左から乙見張り係、帳付け係、甲見張り係、撃柝係となっています。当日は、俳優西田敏之さんも撮影のために東証を訪れ、熱の入ったリハーサルが行われたほか、自主練習に余念がなかった職員も多かったそうです。