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東京株式取引所の創立証書と定款

東京株式取引所(東株)の創立証書

右の写真は、東京証券取引所の前身、東京株式取引所(東株)の創立証書、右下の写真はその定款です。

創立証書の冒頭には、「明治十一年五月四日大日本政府ニ於テ制定セラレタル株式取引所條例ニ基キ株式取引所ヲ創立シ其商業ヲ経営シ株主一同ノ利益ヲ諮ル為メ此証書第五條ニ連署シタル者協力結社シテ左ノ創立証書ヲ取極メ候也」と書かれています。

東株は、明治11年5月10日、東京実業界の有力者であった渋沢栄一、三井養之助、三野村利助、福地源一郎らが、帳合米取引制度を大幅に取り入れた株式取引所条例に基づく株式取引所の設立を出願し、同月15日に大蔵卿大隈重信の免許を受けて設立(資本金20万円、株主95名)されました。

株式会社組織である東株の定款等諸規則の作成に当たっては、ニューヨーク証券取引所の規則等を参考にしたと伝えられています。

東京株式取引所(東株)の創立証書

実際の売買取引は6月1日に、仲買人76名、取引所職員14名の手によって開始されましたが、その前日には維新三傑の最後の一人、大久保利通が暗殺されるなど、当時の世情はまだ混乱の中にありました。そうした中で迎えた取引開始日には、伊藤博文内務卿、大隈重信大蔵卿など、その後、近代日本の建設に尽力した、そうそうたる要人が列席して“証券市場の幕開け”に華を添えたといいます。東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、当時の模様を次のように伝えています。

「この日は朝よりあいにくの雨天なりしが、兜町なる東京株式取引はその開業式を行いたり。その様をみるに、前後の両門には西洋風の緑葉環をつくり、日の丸の国旗を掲げ立会場より廊下にかけて紅毬灯をかけ渡し、帳場の正面にはいかなる神を祭りたるか、紅白の鏡餅を置き一対の神酒を供え、その側には両米商会社、諸銀行、新聞社より贈りたる品物ならびに数駄の酒樽をつみ上げ…午後一時頃より陸軍楽隊の奏楽などあり、午後二時に至りていよいよ本場立会を行う…」