沿革

五代友厚肖像

五代友厚肖像

大阪会議碑文

大阪会議碑文

五代友厚像

五代友厚像

五代友厚は、天保六年(1836年)薩摩国に出生し、薩摩藩に出仕しました。その才覚により早くから頭角を現し、欧州視察に派遣されるなど、海外事情に通暁するようになりました。 明治維新後は、大阪で官職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)等の設立に尽力した後、民間に転じ、紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く手がけ、事業を大きく発展させました。

こうした起業家としての側面を持つ一方、いわゆる大阪会議を主宰するなど、草創期の明治政府にも大きな影響を与えています。

さらに、堂島米会所を復興するとともに、株式取引所条例の成立を受けて、自ら大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所の発起人となり、その設立に尽力するなど、大阪の経済的基盤の構築にも熱心に取り組みました。
また、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立し、その初代会頭に就任するなど、商都大阪の発展に貢献し、我が国経済界における大阪の地位を著しく向上させたものと高く評価されています。

設立趣意書

設立趣意書

開業免状

開業免状

このように、五代友厚は、近代大阪の経済発展に多大な足跡を残し、明治18年(1885年)に没しましたが、当時東京において東京商法会議所(現・東京商工会議所)等を設立した渋沢栄一と比肩する人物として、「東の渋沢、西の五代」と称され、今なお語り継がれています。
当社では、こうした五代友厚の功績を讃え、当社発祥の地を顕彰する碑を建立いたしました。