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東京証券取引所(以下「東証」という)の株券売買立会場は、1878年(明治11年)6月1日に、東証の前身である東京株式取引所が売買立会を開始して以来、120年以上にわたり、わが国の証券・金融市場の象徴的存在として注目されてきました。
しかし、会員証券会社の売買執行の迅速化やコスト削減、また、東京マーケットのより一層の効率化を図ることを目的に、株券売買立会場は、1999年4月 30日に閉場されました。
株券売買立会場の跡地は、2000年5月9日より、新たな東京市場のシンボルである「東証Arrows」としてリオープンされています。
このページでは、写真とともに立会場の歴史をご紹介いたします。
(1878年5月)
東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立されました。
(1880年代)
明治初期、取引も和服姿でした。
(1890年代)
明治の中頃、市場規模が拡大し立会場も新しくなりました。当時の取引の中心は東株自身の株式でした。
(1930年代)
昭和初期、戦時色が強まり戦時債券が大量に発行されました。
(1943年3月)
戦時下の統制経済に東株も組み込まれ、全国11箇所の株式取引所が日本証券取引所に統合されてしまいました。
(1946年頃)
戦局の悪化に伴い1945年8月から売買立会は停止、終戦後は、立会場は、1948年1月まで米軍に接収されていました。
(1949年5月)
1947年日本証券取引所は解散。一方で財閥解体により大量の株式が一般に再配分され、証券民主化運動と相俟って、株式所有の大衆化が急速に進展しました。この時期、1949年5月、東京証券取引所での取引再開が認められました。
(1949年5月)
開所時の取引ポストは馬蹄形に12ポスト配置されていました。
(1959年)
取引が成立した株価は、昔は黒板であるボールドにチョークで書き込まれていました。
(1969年)
1960年代、経済不況や株式投資信託の不振などから戦後最大の証券不況にみまわれました。1968年1月以後、証券会社は免許制へ移行されました。
(1974年9月)
相場報道システムが稼働し、立会場の株価表示が電動式掲示板になりました。
(1980年代)
セリの形そのものの撃拆売買は東株時代の1900年12月に始まり1982年 12月まで続きました。
(1980年代)
旧立会場末期の風景です。
(1985年5月)
旧本館後に新市場館が竣工、新立会場がオープンしました。
(1980年代後半)
1985年新立会場が開かれましたが、この頃から株式ブームが始まってきました。
(1990年11月)
従来、人手だけで行われていた立会場における発注や付け合わせなどの業務にコンピュータを導入しました。このシステムによって立会場銘柄についても一定数量以下の小口注文はオンラインによる発注が可能となり、その後の証券事務のシステム化を加速していくこととなりました。
(1990年代半ば)
システム化の進展により立会場からも人の姿がだんだんと減ってきました。
(1998年12月30日)
最後の大納会です。昔を懐かしむ人や一生の思い出に一度、立会場に入っておこうという人など、かなりたくさんの証券関係者が詰め掛けました。
(1999年1月4日)
最後の大発会です。恒例の和服姿もこれで見納めです。