上場会社トップインタビュー「創」

株式会社Mマート
  • コード:4380
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2018/02/23
村橋 純雄(株式会社Mマート)

ネットビジネス黎明期、食の流通市場構築にいち早く着手

村橋 純雄(株式会社Mマート)インタビュー写真

 ECサイトを用いた物販が当たり前の今、20年ほど前の世の中を思い起こすと隔世の感を禁じ得ない。西暦2000年といえばフレッツADSLが本格提供を開始し、2001年には「Yahoo! BB」のサービスや「3G」の商用サービスがスタート。こうしてあらためてITの歴史を振り返れば、凄まじい技術革新のスピードを再認識することができる。村橋純雄さんが業務用食材のBtoBサイトをインターネット上で開始したのは2000年のこと。今思えば先見の明、としか言いようがない。それまで様々な飲食店の経営、食にまつわる仕事に何十年も関わっていた村橋さん。ある頃からお米の仕入れに苦労したことで、誠実なECサイト実現の着想を得たという。

「お米を仕入れて口に入れてみると、混ぜものが多いことに気づくんです。それではということで別の卸元を探してもなかなか誠実な業者が見つからない。ベテランの私でも仕入れに苦労するのだからこれは皆が困っているだろうと。そんなタイミングで本を読んでいたら、インターネットの時代がこれから来ると書いてある。それならネットできちんとした卸しをやれば皆が安心して利用できるだろうと。1999年の暮れのことです。でもその頃の私はパソコンさえ見たことも触ったこともない。それで息子にすぐ電話して、パソコン持っているかと聞いたのが始まりです(笑)」

 2019年には総流通高が59億円を突破するほど成長を遂げたMマート。ほんの20年前は、右も左もわからない状態での船出に過ぎなかった。ただし、ウェブサイトをお披露目した時から今まで、そのフィロソフィーにブレはない。とにかく目指したのは誰でも安心して利用できるという点。村橋さんがECサイトを開始した当時、ユーザーが安心して利用できる食のネット卸売り市場など皆無だったからだ。

「当時、人気の食品ECサイトを見てみると、数万円の入会金を支払わないと商品の金額がわからないということに驚きました。さらに高い会費を払えば少しだけ商品の価格が安くなるとか、日本人の卸の感覚を逸脱しているようにも思えました。これでは商売を始めたばかりの小規模な飲食店は利用しにくいだろうと。じゃあ我々はあらゆる情報がいつでも誰にでも見られるようにしようと考えました。商品の写真、説明、価格だけでなく、産地、賞味期限、原材料など可能な限りの情報です。そのような情報提供をしているサイトは他にありませんでしたからね」

 ネットでのビジネス開始直後は、自ら運営する飲食店の仕入れ業者へ一斉に出店を要請。同時に買い手となり得る飲食店をネット上で週に1,500社ほども探し、メールでの地道な営業活動を続けた。商品のあらゆる情報がサイト上で一望できるMマートの良心は、すぐさま売り手にも買い手にも響き、会員数が増加していく。加えて、積極的なネット広告も導入した結果、3ヶ月ほどでブレイクの兆しが見え始めたという。

「ある時、赤羽にある小さな肉屋の社長が血相変えて私のところに来ましてね。突然、日本中から注文が入るようになってもう対応できないと(笑)。これはいけるなと確信しました。私は形が見えないと落ち着かないたちなので、とにかくスピードを重視してサイトの完成、運営を急いで行いました。ビジネスにおけるスピード感はやはり大切ですね。他サイトはまず会員登録をしないと商品の情報が得られないなど物を買うまでのフローに手間がかかりましたが、私のサイトではすぐに物が買えるようにした。そのようなスピード感も幅広く受け入れられた理由ですね」

幸せとはすなわち「安心」できること

村橋 純雄(株式会社Mマート)インタビュー写真

 コロナ禍によるネットビジネスへの新規参入も顕著で、昨年の業務用食材ECサイト「Mマート」は月に1,300社ほどの買い手の会員登録が続き、現在は17万社超に達している。売り手の登録も、派生サイトを含めると数千社に達し、食品卸のメジャーサイトとしてその信頼性、安心感は疑う余地もない。

「人間というものは、幸せを求めて生きていると思うんです。では幸せの本質とは何か。お金や地位も大切ですがそれらは実にはかないものです。そう考えていくと一番の幸せとは、『安心』なんだと私は思いました。誰もが求めるのは安心して生活し、生きていけること。ですから私が仕入れで苦労した経験をもとにまずは買い手さんが安心して物を買うことができる仕組みを作る、その結果、売り手さんも恩恵が受けられるようにと考えていき今に辿り着いたというだけなんです」

 聞けば、安心を確保するための仕組みは随所にちりばめられている。たとえば売り手が参加したい場合、特殊な審査などはない。住所や写真、その他あらゆる情報をサイト上に最大限開示することで、まずは悪質な業者がふるい分けできるからだ。また、売り手の年会費は入会一年後に値下げでなく、1万円ほど値上げするシステム。一年間で1万円の値上げに耐えられない業者は質が悪いか、値段が高いために売上を伸ばすことができず、自然と退場していくのだ。さらに三年後にはもう1万円の値上げで、自然と順調に売上を伸ばす優良業者だけが売り手として残る仕組みになっている。一方で、買い手からは年会費を徴収しておらず、買い手に対する営業も行っていない。質の高さと価格の安さを第一に追求したオープンマーケットにこだわることで、結果として買い手の「安心感」を担保する「場」を構築したのである。

村橋 純雄(株式会社Mマート)インタビュー写真

「昭和の時代から長年に渡り、どの業界でも商売は常に売り手主導でしたよね。大きなメーカー、次に大卸し、二次卸しと序列ができあがり、買い手が不利な状態。売り手が一方的に発信する情報を買い手が受け止め、買うしかなかったからです。でも時代は変わり、売り手の情報が急増して買い手が消化しきれないほどになってきた。そうなると買い手側は情報を拒絶するようになる。さらには、自分が吸収できる範囲で情報を入手し、必要なものを選別していくようになります。結局、世の中に情報があまりにも多くなりすぎたことで、主導権が売り手から買い手に移ってきた。そうなると大手だから、ブランドがあるからといったことだけで買い手は信用してくれません。そういう時代の"安心"とは、買い手が判断するための情報をいかに幅広く開示していくかということなのでしょう」

 村橋さん曰く「関わる全ての人が幸せを感じる」ことで、「善の循環」が起き、ビジネスが円滑にまわるという。その善の循環を「はずみ車」のようだと語る村橋さん。機械の要素である「はずみ車」は回転を利用してエネルギーを確保する。Mマートの場合はこうだ。良い商品を安く提供することで買い手が安心し、購買が増える。購買が増えれば売り手の競争は増し、さらに良い商品を安く提供できる。安価で良い商品がさらに増えれば、買う側の選択肢は拡がり、益々、買い手が増える。こうしたはずみ車のような善の循環をエネルギーとして、誰もが「安心」できる要素をちりばめた結果が、Mマートそのものなのである。

ビジネスモデル -事業系統図-

上場の企図は、十数万社の顧客のため、そして社会のため

村橋 純雄(株式会社Mマート)インタビュー写真

 スナックやパブ、お好み焼き屋など多様な飲食店を運営してきた村橋さんが、その経験を活かして立ち上げたMマート。それにしても64歳でこの会社を起業し、81歳でマザーズ市場に上場したというその情熱には舌を巻く。

「私にしてみれば60代、70代はまだまだ青春時代。70歳を超えて、まあ少しは経験を積んだかなというくらいです。誰しも80歳くらいまでは頑張って当たり前ですし、60代、70代でそれまでの知識や経験を捨ててしまうのは社会としても大きな損失でしょう。たとえ80歳を超えても、もう年寄りだなんて考えず起業だって上場だってすればいいと思うんです。若い時は社会のことを何もわかっていませんでしたが人脈づくりには自然と勤しんでいました。本気で勉強するのは社会に出て、仕事をはじめてからでいい。まあ、私もまだまだ勉強中ですが(笑)」

 上場に踏み切った背景についてさらに深掘りしていくと、村橋さんはこう答える。

「私は誰かに何かを頼まれると、どうにも"はい"と言ってしまうたちで(笑)。そんな性格だから公的機関の要請で日本の美術品を海外に紹介したり、政治家の活動をお手伝いしたり、飲食以外のことにも多く関わってきたんです。でも、ある時ふと、自分は商売人じゃないか、もっと真面目に商売をやらないとダメだと思うようになった。気づいたらMマートのお客さんも10万社を超えている。ならば、お客さんが困るようなことをしてはいけないし、会社を永続させなければいけない。だから社会の公器として会社を機能させるため、上場することに決めたんです」

 会社の信用度が総体的に向上したことや、優秀な人材が集めやすくなったことなど、上場にはメリットがいくつもあったと言う村橋さん。とりわけ、経営者が意識すべき覚悟が再認識できたことは大きな収穫だったと話す。

「上場には手順もありますし、準備しなければならないこともたくさんある。ですから腹をくくって、絶対に成功するんだという決意を持って上場に挑まなければならないと思います。会社を運営していると分かりますが、システムや数字において曖昧な部分が少なくないんですよね。でも上場する際にそのような曖昧さは手続き上、許されません。どんな監査を受けても申し開きをできるのが大前提。上場を経て、私自身、それまでの経営における曖昧さに気づけましたし、経営上、曖昧な部分をすべてはっきりさせることが、成長にもつながると学びました。この経験は経営者にとって価値あるものだったとあらためて感じます」

おにぎりの恩を胸に、情熱を注ぎ続けて

村橋 純雄(株式会社Mマート)インタビュー写真

 時間さえあればもっぱら読書に勤しみ、幅広く「知」を蓄積しているという村橋さん。読書をすることで、知的好奇心が満たされるのはもちろん、自分の無知さに気づき、つねに謙虚な姿勢を維持できると話す。現在84歳。自身を成長させようとする向上心にはいささかの陰りも見られない。そのようなエネルギーを維持できる秘訣は一体、何なのだろう。

「10代半ば、飲食店でアルバイトをした時から飲食の世界で生きてきました。飲食の世界にこれほどすべてを賭けてきたのは、やっぱりあの体験が大きいと思いますね」

「あの体験」とは太平洋戦争末期、満州にいた幼少の村橋さんが戦火を逃れて日本へ来た時のことだ。満州から朝鮮半島、そして日本の下関へ。日本に到着するまで、着の身着のままの移動は同時に飢えとの戦いでもあった。ようやくたどり着いた日本でまずは飯をと、うどん屋ののれんをくぐる。

「そこには素うどんしかなかったんですが、それを頼んでかきこむように食べていた。するとどこからかおばあさんがやってきましてね。店の隅の方で包みを広げたかと思うと、真っ白いおにぎりが出てきたんです。私はといえば白米なんて一ヶ月ほども食べてない。よほど欲しそうな顔をしていたんでしょう(笑)。おばあさんがおにぎりを持って、食べますかとこちらに来てくれたんです。私は嬉しくて、おばあさんの顔もろくに見ずにかぶりついた」

 食べ終わり、一息ついた後、ようやくお礼をしようとおばあさんの方に目をやると、そこには誰もいない。とてつもない空腹を癒やした日本上陸直後の不思議な出来事。村橋さんにとっては忘れられない記憶として脳裏に刻まれた。

「あの時のおにぎりは本当に美味しくてね。その原体験が私を飲食業に導いてくれたのかなと。おばあさん、いつの間にか消えちゃったんですが、おにぎりをもらった恩を返したいという気持ちが今でもあります。だから、私は社会に対してあの時の恩をきちんと返さないといけないなと思っているんです」

 そう話しながら懐かしそうに笑みを浮かべる村橋さん。飲食業に心血を注ぎ、飲食業を愛し続けたこれまで。そして、これからも社会に、人々に、食を通じてたくさんの笑顔を届けていきたいと、最後まで熱い言葉が尽きることはなかった。

(文=宇都宮浩 写真=高橋慎一 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2021/01/08

プロフィール

村橋 純雄(株式会社Mマート)プロフィール写真
村橋 純雄
株式会社Mマート 代表取締役社長
1936 年
東京都生まれ
1954 年
別府市観光喫茶 入社
以降、一貫して飲食業界に従事
2000 年
株式会社Mマート設立 代表取締役社長(現任)
2018 年
東京証券取引所 マザーズ市場へ上場

会社概要

株式会社Mマート
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  • コード:4380
  • 業種:情報・通信業
  • 上場日:2018/02/23