上場会社トップインタビュー「創」

オムニ・プラス・システム・リミテッド
  • コード:7699
  • 業種:卸売業
  • 上場日:2021/06/29
ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

シンガポール建国の年に生まれた少年は、 化学を学んで多国籍企業のビジネスマンに

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

 オムニ・プラス・システム・リミテッドは東証に上場したシンガポール初の企業だ。エンジニアリング・プラスチックの流通事業と、樹脂コンパウンドの開発・製造事業を行う。社名の由来は"すべて"を表す「オムニ」に顧客の問題解決で「プラス」となる「システム」を提供すると言う。プラスチックは現代社会では普遍的とも言えるマテリアルだからだろうか。そう言うと、最高経営責任者CEOのネオ・プアイ・ケオンさんは、オムニ・プラス・システムはソリューションの会社だと答えた。

 「私たちはプラスチックの会社だとか化学の会社だと宣伝したいとは思っていないんです。でも、どんな課題も化学と科学で解決できますと。だから企業ロゴは無限の形にしているんです。すべてがサステナブルであってほしいと考えているので色はグリーンにしました。会社設立当時、世界的な会社になれるだろうかと考えていたのですが、サステナブルな形でそれをやりたかった。」

 ネオ・プアイ・ケオンさんが生まれたのは、シンガポール建国の年の1965年。独立の混乱や同年のインドネシアの政変の影響で、屋台商店になってしまった店を両親が建て直して少しずつ大きくしていくのを目の当たりにして育った。教育熱心な両親は、息子を伝統あるカトリック校に入学させ、規律や誠実さを培った。化学だけは勉強する必要を感じなかったほどすぐ理解できたという高校時代を経て、ポリテクニック(高等専門学校)に進んだことが、その後の運命を決めた。

 「ポリテクニックでポリマーを勉強していたので、長瀬産業の面接に受かりました。その頃はポリマーを学んでいる学生がそれほど多くなかったんです。長瀬産業はそのころシンガポールと東南アジアでビジネスを拡張しようとしていました。技術だけじゃなく地域のテクニカルサポートも提供していました。商品特性を習得するために日本でトレーニングも受けました。基本的には技術を売り込むために雇われたんですが、テクニカルサポートもやっていました。当時長瀬産業はとても小さなチームで数人しかいなかったんです。だから、マテリアルを扱うほかに、マーケティングや営業にも携わりました。」

 1から10まですべてを任されていた青年は、その後エルフアトケムにヘッドハンティングされる。

 「当時の東南アジアでシンガポールは重合プラントがある数少ない国の一つだったので、フランス企業であるエルフアトケムは、最初のヨーロッパ域外のプラントを造るためにシンガポールに来たわけです。私はパイオニアの一人として、ゼロから月産5000トンにまで市場を育て、この経験から工場の製造工程や東南アジアのサプライチェーンやロジスティクスを学びました。私にとってとても良い経験でした。当時はメインの市場は日本とアメリカの会社が独占していたんですよ。従ってエルフアトケムが市場においてアピールするためには、新しいアイデアを持ち込まなければなりませんでした。そこで、大学と連携してシミュレーションソフトを開発し、新しい金型や新しい製品を市場に導入するまでの時間を短縮できるように努力しました。またシミュレーションソフトを動かすためのミニコンピューターまで開発しました。でも当時はまったく反響がなかったのですが(笑)、とにかく新しいテクノロジーを使って市場を動かそうとしていました。」

顧客の課題解決にニーズを発見、 Y2K問題を目の当たりにして起業へ

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

 当時、多くの多国籍企業のアジア参入時のハブとして成長していたシンガポールは、ヨーロッパ、アメリカ、日本企業がビジネスを行う場所でもあった。青年は多国籍企業との仕事の過程で大きな学びを得る。しかし、仕事に恵まれた企業を出て独立するにはどんなきっかけがあったのだろうか。

 「アメリカやヨーロッパの顧客を訪ねて素材や素材に関するソリューションについて話し合うとき、どうすれば問題を解決できるか、新しい素材が作れるか考えますよね、でもエルフアトケムは多国籍の大企業で、新しい素材を作るには要望を出してから何年もかかります。業界と顧客のニーズの間に非常に大きなギャップがあることを実感しました。そして、そのギャップを埋めるために、顧客がやってほしがっていることを私がやれるかもしれないと考えたんです。当時、スタートアップは珍しくて、1からビジネスを始める人はあまりいなかった。私には多国籍企業とは別のアイデアがあり、課題解決にビジネスのチャンスがあったんです。」

 さらに、ビジネスチャンスを感じていた青年は1999年、2000年への切り替えでコンピュータ誤作動のリスクが取りざたされたY2K問題(2000年問題)に直面する。

 「顧客のニーズとのギャップのために起業を考えたんですが、Y2K問題が新たなニーズが生まれる大きな機会だと思いました。プログラマーが1999から2000に切り替えるのを忘れていたというだけで世界的な問題になって、みんなハードウェアやソフトウェアを切り替えていました。それを見て私も何かできそうだと思ったんです。」

感染症の流行や金融不況を 経験しながらの成長

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

 起業を思い立って即行動。2002年にはオムニ・プラス・システム・リミテッドを創業した。ビジネスモデルも熟考の上で、顧客は最初から獲得できたという。会社の創設時は資金を集めるところから、親しい友人たちに呼びかけて、事務処理をしてもらう人を一人だけ雇って机一つでスタート。しかし課題解決の達成感もあり、顧客はいつも感謝してくれて楽しかったと微笑む。その後もドットコムバブル、リーマンショック、SARSなど多くの危機を前向きに乗り越えてきた。

 「どの危機においても、顧客やサプライヤーから助けて頂きました。また、特にシンガポール政府は、プロフェッショナルなビジネス支援をやってくれて、政府機関と共に課題解決をしてきました。コロナだけじゃなくSARSの時からです。危機があると資金繰りは大変になります。しかし良いこともあって、社員たちが頑張って私たちを支えてくれました。会社創設時からある時期までは昇給もできていなかったと思うのですが、みんな頑張ってくれました。」

東証マザーズでの上場の理由 ロンドンでもニューヨークでもなかったのは

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

 そしてついにコロナ禍の2021年6月29日に東証マザーズに新規上場を果たす。技術開発の企業として金融ビジネスに強みを持つ証券取引所であるロンドンは選択外。製造拠点がアジアであることからニューヨークも除外。アジアでも信用があり、ガバナンスと透明性が評価されていることから東証での上場を決心した。

 「日本はテクノロジーと化学の国で、アジアで早くから化学工業を展開しているので、市場において様々なノウハウを持っています。東証に上場したことで潜在的なパートナーに、ガバナンスと透明性に優れた会社であるというイメージを訴求できると考えました。また、私たちは技術開発を重視する企業として、効率よく世界へのアクセスを得たかったのです。海外の顧客たちは新しいソリューション、新しいテクノロジーに意欲的ですから。」

 東証への上場ではサポートしてくれた金融機関や法律事務所等とのチームワークに感動したという。東証のほか、ESG(シンガポール企業庁)やA*STAR(シンガポール科学技術研究庁)、MAS(シンガポール金融管理局)といった政府機関とも連携することで、はじめて可能になった大事業だった。

 「コロナ禍だったので、渡航制限があり、マレーシア政府にも入国許可を得なければならなかったのですが、ESG(シンガポール企業庁)がコーディネートしてくれました。本当に多くの政府機関の支援を受けました。東京での上場は、我々のような海外企業にとっては言葉の問題が大きく、多くの書類を日本語で用意しなければならないことが一番のハードルでしたが、みずほ証券他多くのパートナーの皆様が助けてくれました。言葉の壁はやはり高く、我々は助けを得られてラッキーでした。」

上場で得られたさらなる信頼 そして会社の未来

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)

 しかし上場で得られたものは大きかった。資金調達はもちろん、それ以上の効果があったと言う。

 「この上場で、ステークホルダーやビジネスパートナーに私たちの透明性やガバナンスを示せたと思います。多国間での仕事がやりやすくなりました。実際、東京証券取引所への上場がブレイクスルーになりました。あらゆる過程で存在を示せるようになり、取引銀行など金融機関にも要求を示しやすくなりました。潜在的には、日本企業や日本のビジネスパートナーとの結びつきが強化され、マーケティングや知名度を高めることになったと思います。上場前は、例えば日本の技術系のスタートアップ企業と何かやろうとするとき、我々がどういう会社か示すのに何年もかけなければならなかったこともありました。ですが、上場後は当社の背景を知ってもらうのが簡単になりました。」

 従業員へのボーナスも増額。しかし、さらに重要なのは、透明性の高い人事方針で企業経営を行なっていると従業員に示せたことだという。基本的に雇用には、ビジネスパートナー獲得と同じ重要性を感じている。

 「従業員は帰属意識をより高めてくれたようです。いまはどこの会社も雇用主対従業員という考え方ではありませんよね。従業員も正しい考えを持つ会社で働きたがり、自分に合ったキャリアパスを構築することを求めていて、ただサラリーを貰えればいいということではなくなりました。彼らも企業戦略やビジョンを求めています。上場した今では人材確保もやりやすくなり、会社へのコミットメントが高まりました。私たちはもしかするとライバルになる人材を育てているのかもしれませんが、企業の社会的責任として、社員というより業界を育てるつもりでトレーニングしています。」

 相手が株主であっても従業員であっても、情報開示と信頼関係を重要視している。さらに世界的トップクラス企業となることを目指していて、シンガポール企業庁やA*STAR(科学技術研究庁)といった政府機関とも協力して若い才能を業界に呼び込もうとしているのだ。

 「我々にとって採用は企業戦略と組み合わさっているのです。ステークホルダーとは株主だけじゃなく、従業員、顧客、パートナー、金融機関も入ってきますよね。情報開示が重要な反面、テクノロジーを扱っているので、我々のビジネスでは秘密保持契約があるのが普通です。守秘義務もあります。誠実さや正直さという資質を持った従業員が必要です。従業員との信頼関係、顧客との関係性は1日や2日で築けるものではありません。顧客との守秘義務や知的財産権などすべてを守るのには最初から関係性を築かなくてはなりません」

 収益の95%を海外から得ていて、顧客の70%は多国籍会社、海外展開はシンガポール人のDNAだという。今後はシンガポール本社をコントロールタワーとして各地の工場をデジタル化する計画があり、実現すれば、さらに場所の制約はなくなるだろう。さらにアジアで最もアクセスしやすいシンガポールにエンジニアリングセンターがあり、世界のどこにでもアクセスできることも強みだ。

 「顧客には最高の成果を挙げて満足していただきたい。すると彼らも貢献してくれます。ですから情熱が大事です。私たちアジア人は、個人として名誉を重んじますし、コミットメントが重要です。そして行動を示さねばなりません。誰もが真剣に取り組み誠実であり責任を持って取り組むことが求められます。これが会社を前進させていると思います。しかしもっと大事なのは、チャレンジです。障害に立ち向かえなくなったら会社は終わります。ですから私たちは前進しソリューションを見つけなければなりませんし、実際そうして会社が成長してきました。」

アドバイスはたった3語Just do it!

経営はマラソンのようなものだ。15年以上前からESGに取り組みバイオポリマーの開発も進めるなど、ずっとチャレンジを続けてきたが、さらに会社を次のレベルに成長させるため、マネジメントの質をサステナブルに保とうと健康を意識している。趣味のガーデニングと茶道が、スピードの速いテクノロジーの世界から日常生活に戻ってクールダウンするのに効果があるという。シンガポールで起業し東証上場を目指ざそうとしている人々へのアドバイスを尋ねると、たった3語、「Just do it」と答えた。

 「ただやってみろと言いますよ。今回の上場を経て、東証は大変信用できるとアドバイスします。東証の人々はとても親身になってくれますから。シンガポールの会社でも、また別の国の会社でも助けてくれます。モタモタせずどんどんやってみるべきです。just do it ですよ(笑)」

(文=遠藤京子 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2023/01/25

プロフィール

ネオ・プアイ・ケオン(オムニ・プラス・システム・リミテッド)
ネオ・プアイ・ケオン Neo Puay Keong
オムニ・プラス・システム・リミテッド 最高経営責任者(CEO)
(学歴)
1985 年
シンガポール・ポリテクニック
化学プロセス工学部卒業
1988 年
プラスチック技術学高度専門士取得
シンガポール・ポリテクニック 化学プロセス工学部
1995 年
シンガポール経営研究所経営学修了
2014 年
南洋理工大学卒業MBA 取得
(職歴)
1988 年
Nagase Singapore Pte Ltd 入社
1992 年
Elf Atochem SEA Pte Ltd 入社
(現: Total Petrochemicals (S.E.A.) Pte Ltd)
2002 年
当社設立
CEO, Chairman 就任(現任)

会社概要

オムニ・プラス・システム・リミテッド
オムニ・プラス・システム・リミテッド
  • コード:7699
  • 業種:卸売業
  • 上場日:2021/06/29