上場会社トップインタビュー「創」

株式会社五健堂
  • コード:9146
  • 業種:陸運業
  • 上場日:2021/10/08
蓮尾 拓也(株式会社五健堂)

TOKYO PRO Market で資金調達を達成

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 京都伏見に本社を置く株式会社五健堂。赤帽の個人事業主からスタートして、35年を経て90億円の売上、従業員数600人に成長した総合物流会社だ。2021年9月にTOKYO PRO Market(以下TPM)に上場した。

 創業者は代表取締役の蓮尾拓也さん。蓮尾さんの起業からTPM上場までのストーリーは後編でお話しするとして、まずはTPM上場時に9億4千万円を調達したトピックに触れたい。

 TPMは、買付けが特定投資家等に限定されていることもあり、現状市場の流動性が低く、株式による資金調達がしにくいとも言われている。いったいどのように資金調達をしたのか伺ってみた。

「TPMに上場するとき、資金調達はどっちでも良かったんです。お金は銀行から借りられる枠がありますから。私が考えたのは、本当に会社を応援してくれる株主を集めること。そもそも株主は、この会社を応援するよ、だから言いたいことも言わせてくれというのが株式会社のあり方だと思います。支援いただいている取引先に『こういうことで上場を目指していきますので賛同いただけませんか』と声をかけていきました」

 蓮尾さんは取引先の社長たちに、上場の目的をこう語った。

「いずれ私も会社を辞めるときがきます。だけどこの会社は残したい。五健堂は『5つの健康』を高める想いを込めて設立しました。体、仕事、お金、家族、心の健康です。そして経営理念としてお客様と仕入先、社員、会社、社会の『5つの大満足』を基本方針としています。この理念を持って会社を成長させ、次の世代に引き継いでもらうためには上場して『王道』を歩むしか方法がありません」

 多くの社長が「せやな。辞めるときは一緒ぐらいで、子どもたちが次をやってくれるといいな」と賛同してくださったそうだ。メイン銀行4社、お客様上位十数社、金額は取引金額の多いところから5,000万円、3,000万円、2,000万円と決めてお願いしたところ、すべてのお客様から賛同いただけた。

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 想定発行価格を決めるプレマーケティングの段階では、98社30億円という金額になっていたそうだ。しかし「いまその金額をやる必要がありますか?」と上場支援機関のアドバイスを受け、金額と口数を減らして40数社の取引先に株主になっていただいた。TPMで資金調達するメリットを蓮尾さんはこう語る。

「まず市場で株価がつくこと。これにより第三者に株主になってもらいやすくなります。二つ目に、本当に応援してくださる方だけに株主になってもらえる。これが最大のメリットです。TPMでは安定株主づくりができます。比較的短期間で上場される会社もありますが、私たちは従業員が何百人といて取引先も多い重たい船ですから、安全運転でやっていかないと大変なことになります。ですから、第三者の方に株主として入っていただいて責任感を高めることがすごく重要。株主総会でも、身内がゆえに47社中40社以上が株主総会に来ますから」

 そしてこの身内の株主たちが、次のステージへ向かう大きな原動力になっている。

「取引先が株を持ってくれると、『優先して五健堂に仕事を回せ』という流れも出てきました。そうして支援いただいた方たちに少しでも恩返しをするために、次の一般市場に出る意味を自分自身が強く持てるようになりました。身内の方に出資いただき私たちが成長していく、オーナー経営者から雇われ経営者に生まれ変わり所有と経営を分離していく、それでガバナンスがしっかり効いて会社を守ることができる。会社を継続させていくためには必要なことだと思っています」

ブックランナーから見たTPMでの資金調達

右島 学(アイザワ証券株式会社)インタビュー写真

右島 学 アイザワ証券株式会社 ソリューション本部 引受部長

 さてここで、五健堂のブックランナーであるアイザワ証券株式会社の右島学さんに、ブックランナーとしてどのようなサポートをされたのか伺ってみた。TPMで資金調達する場合は、ブックランナーが一般市場上場と同様に発行価格の決定プロセスを担う。具体的には機関投資家などにロードショーを設定・実行し、仮条件を定めた後、ブックビルディング方式に準拠して発行価格を会社と協議決定していくプロセスだ。

「五健堂さんのロードショーは20社ほど行いました。取引先だけでなく、機関投資家にも『将来、一般市場に上場していく会社なので、今のうちにご覧になってください』と誘致したところ、8社ほど参加してくださいました。蓮尾社長は熱意があって人間性溢れる方ですから、機関投資家の方からも『応援しています』と好意的なお声がけをいただきました。

 今回、9億円以上資金調達ができたのは、ひとえに蓮尾社長と五健堂さんが長い歴史の中で幅広い取引先としっかりとした信頼関係を築いてきたからに尽きると思います。五健堂さんのようにB to Bで顧客との信頼関係を築いている会社さんであれば、TPM上場時に資金調達は可能だと思います。蓮尾社長がおっしゃっていたように、外部株主が入ることでガバナンスがしっかりして組織が強くなりますので、ぜひチャレンジしていただきたいです」

赤帽からのスタート

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 高校を中退して建設会社、配送会社と渡り歩く中で、敗北感ばかり漂っていた。仕事は一生懸命するし、努力も惜しまなかったのでどこでも可愛がられたが、どんなに頑張っても手取りは多くはならなかった。「こうなったら自分で商売しよう」と健康寝具の販売などやってみたが借金は膨らむばかり。すでに結婚をして長女が生まれていた。なんとか生活を立て直そうと始めたのが赤帽だったそうだ。屋号は『赤帽 五健堂便』。

 驚いた。5つの健康を高める『五健堂』のネーミングは、このときからあったのだ。蓮尾さん23歳。この熟達した思考はどこから出てきたのだろうか?

「いま振り返っても、その若さでそういうことを考えたのが自分でも良かったと思います。20歳の頃、私は苦痛の毎日の中で成功したい願望がいっぱいあった。そのとき『成功者になるには』といったセミナーに誘われて、『あなたにとって成功とはなんですか?』という問いを投げかけられました。セミナーの3日間で成功や幸せとは何かを一生懸命考えて、5つの健康が一つでも欠けたら幸せじゃないと思ったんです。いつか会社を立ち上げたら屋号を『五健堂』にしようと決めました」

 こうして1989年、赤帽 五健堂便がスタートした。当初の月売上は37万5,000円。これではダメだと名刺を配り、100枚配ると3件ほど電話がある。「すぐにやります!」と対応して仕事が増えてくると友人にアルバイトしてもらった。1年後には月1,000万円を売り上げるようになったが、資金繰りは苦しい。そこで金融機関に借りに行くと「まずは法人にしてください」と言われた。

 通帳をつくり毎月300万円、400万円と徐々に増えていく売上を入金していくと、「よく頑張りましたね」と300万円の融資がおりた。通帳に印字された数字を見ていると涙が止まらなくなった。

「私が求めていたのは何だったのか、そのときわかったんです。それはお金ではなく、信用だった。ずっとクレジットカード一つ通らない生活をしていて、初めて銀行に認められたのが本当に嬉しかった。商売というのは信用を積み重ねていけばなんとかなるということの初体験でした」

食品に特化した配送会社に

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 1990年代はバブル崩壊による不況でどの業界も苦しんでいた。しかし90年代の10年間で、五健堂は年商10億円の会社に成長する。しかも食品に特化した配送会社に生まれ変わっていた。何がきっかけか?

「反物やおもちゃを運んでいたので、不況でどんどん仕事が減っていきました。途方に暮れていたとき、ふとコンビニで求人広告を見たんです。そこには山ほど深夜の配送の募集があって、食品業界が社員を募集している。『これや!』と思って、社員の応募のふりをしてアポを取り、面接で『実は運送会社なんですけど、仕事が欲しくてきました』と頭を下げました。半分ぐらい怒鳴られましたが、中には『面白いな、お前配達行けるの?』と言う人もいて、そこから食品の深夜の輸送が増えていきました」

 五健堂が食品物流に特化したきっかけは、なんと求人広告から思いついた奇策だった。24時間営業のコンビニが増え、24時間社会になっていくに従い、五健堂のトラックも昼夜問わずフル稼働。冷凍車、パワーゲート車といった特殊車両を揃え、食品物流を扱う24時間年中無休の会社になっていった。

親方から経営者への道のり

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 会社の規模が大きくなると問題も増える。クライアントの大型倒産では4,000万円の貸し倒れが発生。金融機関が貸し渋りを始める。命取りになる問題が起こるたび、自己責任だと懸命に解決に取り組んだ。「経営者の無知が会社を潰す」と自分を戒め、専門家に負けないぐらい決算書を読み、労務も学び、人間としての成長を得るために仏教の教えを乞い在家得度までした。松下幸之助、本田宗一郎、稲盛和夫といった名経営者の本を読んで理念の大切さを学んだ。一人親方から経営者への道は、全て独学だそうだ。その道が上場に繋がっていく。

「45歳のとき、将来どうするんだ?と考えたんです。会社を残すためにはM&Aで会社を売るか、上場するか。そう考えると自分でやりたい。自分は死ぬまで事業家でいたいから上場しようと考えました」

 最初は一般市場への上場を考えていたそうだ。証券会社の指導を受け2、3年取り組んだが、上場準備を推進する人員が揃わず思うように進まなかった。そんな折、TPMの話が耳に入った。蓮尾さんの上場目的は、五健堂を良い会社にして継続させていくことだ。であれば、TPMに一旦上場して組織基盤を整えるのは有意義だと考えた。J-Adviserから上場までのスキームを時系列に落とし込んだスケジュールが出てくると、蓮尾さんは自らプロジェクトリーダーに立った。

「最初は私の覚悟が足りなかった。『やっておいて』というスタンスでしたから。でも自分が覚悟を決めてはじめたら早い。すると内部の人間も揃ってきて、外部の取締役や監査役も良い人が揃って、組織がバリバリにできているよねという具合になった(笑)。外から賢い人を集めてきたのではなく、自分たちでできたことがすごく良かった。コーポレートガバナンス、J-SOX法など中小企業には縁がない用語をたくさん覚えて、こうしたら会社は潰れにくくなるとわかったし、社会性も豊かになってきました。上場までのプロセスで、社員の自信と自覚ができてきたことが私は一番良かったと思っています」

守るために攻める多角化

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)インタビュー写真

 五健堂は積極的にM&Aを行い、荷物のピッキングなど総合物流センター運営のほか、フード&サービス事業など多角化を進めている。蓮尾さんに大胆な性格かと問うと、真逆の答えが返ってきた。

「私は堅実ですよ。むちゃくちゃビビりです。だから多角化も関連した多角化しかしません。それもリスク分散が必要という考え方ですから、リスクを取らないで拡大を続けることを考えます。上場会社としては面白くないかもしれないけれど、いいんです。私は五健堂を守りたい。良い会社にして、私がいなくなっても存続していって欲しい。そのために素晴らしい株主さんたちにこの会社を見ていて欲しいのです」

 月並みな言い方で恐縮だが、蓮尾さんは自分よりも五健堂を愛しているのではないかと思う。どんなにAIが発達しても、会社に命を吹き込むのは人間だし、それを見守るのも、そこで育っていくのも人間であることを感じさせてくれた。
 さて、蓮尾さんは、休日に本社の隣で子会社の株式会社F&Sが運営・管理する複合施設内にあるゴルフレンジで練習して、ジムで汗を流すそうだ。すべてここで完結していると笑う蓮尾さんに「お金は払うんですか?」と聞くと、「当たり前ですやん。私が一番の顧客ですよ」と返ってきた。

 5つの健康と5つの大満足という理念を持った五健堂は、もう次の山に登りはじめている。これから本格的に急加速すると蓮尾さんは語った。方針はもちろん「守って守って守って攻めていく」だ。まずは日本一の山に登る。

(文=江川裕子 写真=淺野功 編集責任=上場推進部"創"編集チーム)2023/11/06

プロフィール

蓮尾 拓也(株式会社五健堂)プロフィール写真
蓮尾 拓也
株式会社五健堂 代表取締役社長
1966 年
京都市生まれ
1989 年
個人事業主として赤帽軽貨物事業を開始
1990 年
有限会社五健堂設立
1995 年
株式会社五健堂に組織変更
2006 年
株式会社五健堂引越サービス設立
株式会社PRIDE設立
2007 年
横大路に物流センター開設
2016 年
M&Aを積極的に開始
2021 年
TOKYO PRO Marketに上場
組織改編を経て、2023年現在、連結子会社*8社で構成
*株式会社BRIDGE、株式会社MOVING、株式会社PRIDE、株式会社古川運輸、株式会社ウイングスマルコー、株式会社六ツ星運送、株式会社F&S、株式会社三輪タイヤ

会社概要

株式会社五健堂
株式会社五健堂
  • コード:9146
  • 業種:陸運業
  • 上場日:2021/10/08